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思考コードで見る「教育・産業・社会」(01)

☆私立中学入試市場というのは、参加者が学校であり、塾や教育関連産業であり、受験生・保護者である。つまり、「教育・産業・社会」の凝集点であり、社会経済モデルのプロトタイプでもある。
 
☆しかも、私立学校は助成金をもらっているから、その社会の部分は、強欲資本主義ではなく、公正的資本主義である。したがって、私立学校の市場は、新しい社会経済モデルのプロトタイプである。
 
☆公立学校の市場というのもある。参加者は、やはり、学校であり、塾や教育関連産業であり、受験生・保護者である。つまり、これまた「教育・産業・社会」の凝集点である。しかし、モデルは社会モデルというより、近代官僚組織のプロトタイプである。 
 
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☆しかしながら、教育ジャーナリストやメディアは、その区別を前面にはださない。いや出せない。もし前面にだしたら、公立学校の官僚的な抑圧的な部分を語ることになり、子どもたちの夢を奪うことになる。
 
☆だから、その抑圧が過度に行きすぎ、事件になったときだけ、大いに取り上げ、警鐘を鳴らすしか、日本社会では、言論の自由はない。
 
☆つまり、子どもの夢を奪うような正論は、忌み嫌われる共感論がはびこっている。だから、クリティカルシンキングも嫌われる。
 
☆そして、このような文化を根付かせる、教育が行われてきたのだ。
 
☆それは、思考コードで見ると、よりはっきりする。今までの教育は、知識として確定しているものを、引き出せるように記憶する思考様式を育成してきた。つまり思考を物質化=物象化して、固定してきた。首都圏模試の思考コードでは、それはA領域に位置する。
 
☆そのA領域で、レベル格差をつける競争が行われてきたのである。競争が行われてきたのだから、自由市場であり、それゆえ、まさか公立学校が官僚的だなんて、誰しもクリティカルシンキングをしない。それは、ミッシェル・フーコーではないが、コミュニケーションという身近な中に忍び寄る抑圧的権力なのである。それが共感という響きで、作動している場合もある。
 
☆それゆえ、明治維新のときに、そのような官学に対峙するような役割を私学は果たすことになった。
 
☆しかしながら、そんな歴史的クリティカルシンキングをする研究者もいないし、そうなれば教育ジャーナリズムもその視角を忘却ししてまう。
 
☆だから、公立学校より比較的自由なことをいいことに、強欲資本主義にまみれる私立学校も生まれてしまう。私立学校の在り方自体は、公正的資本主義的な社会経済システムなのだが、そこに忍び拠る塾歴社会がある。
 
☆思考コードでみると、たしかにC3までの教育を私立学校はやっているのだが、その割合が多いところと少ないところでは塾歴社会のダメージが大きいか小さいか違ってくる。
 
☆現状の大学入試に合わせたカリキュラムを作っている私立学校の授業は、A1からB2までの思考力育成がほとんどである。それ以上の創造性領域は、オプションで行っている。そして、それがその私立学校の特徴とか魅力とかいう形式で広報活動がなされてしまう。
 
☆よって、私立学校だから自由な発想を育てることができるかというと、東大の生物の問題ではないが、自由な発想で合理的に説明せよとか、文科省ではないが、学びの過程に基づいた創造的思考などと、創造性に軛をかけるのを忘れないところもある。
 
☆20世紀産業社会もまた、そのようなA領域思考人間を採用したし、創造性を発揮できる人材は、プロジェクトに寄せて、まるで、かつてのベニスのガラス職人のように隔離されてきた。
 
☆ところが、ICTの登場と英語の広がりで、隔離されていても、世界のネットワークと結びつくことができるようになった創造的才能者は、今や連携してクリエイティブクラスを形成している。
 
☆そして、多くのクリエイティブクラス人材が、まだまだ一部の私立学校ではあるが、確実にそこに蓄積され始めている。塾歴社会には、結果的に、そのような才能者は集まっているが、彼らはその創造の翼を活用しない。彼らはファーストクラスにいることで満足だからだ。しかし、これはエリート公立学校の輩出する人材となんら変わらない。私学でありながらその魂を塾歴社会によって、封印されてしまっている。
 
☆しかし、その封印を解放するのが、思考コードである。彼らに思考コードを渡せば、クリティカルシンキングとクリエイティブシンキングが作動し、内側から塾歴社会を崩すことができるだろう。公立中高一貫校の適性検査は、思考コードを活用することができるので、公立学校も解放される新たなモデルができる可能性がでてきた。
 
☆どうやら、思考コードは、20世紀の抑圧型組織の支配から「教育・産業・社会」全体を内側から解放する多重知能コードのようである。知の解放のアイテムと置き換えることもできよう。

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