思考コードで見る「教育・産業・社会」(05)A領域思考人間の文化が支配する学校
☆最悪なのは、実は理数系教師ではなく、A領域思考人間の国語の教師の場合。客観的な読み方だとか、文法の重要性を振り回す。
☆客観性なんてものは、その文章の時代的文脈でどんどん変わる。文法だって、橋本文法だけが絶対ではないし、各国の言語を越境して普遍文法を唱える学者だっている。
☆すべての基準は、そこに参加しているC領域思考人間メンバーと歴史性の信頼性と妥当性によって決まるのだ。基準と規準はどう違うというこだわりだって、どこのレベルの話なのだろう。
☆どうせ文科省が、カント哲学などの欧米の言語であるノームやクライテリアなどを想定して分けたのだろうが、じゃあ基準だ規準だとこだわる教師が、カントの哲学の現代的意義を語れるのだろうか。
☆私は、語れないし語れなくてよいと思っている。自分たちで考えればよくて、別にカントがどう考えたかを正しく理解しようなどとは思わない。
☆ただし、カントに影響を与えたルソーやカントが影響を与えたヘーゲルや、ヘーゲル大嫌いなラッセルや、妙にデカルトが好きなアインシュタインなどがなぜそんなふうに考えたのかぐらいは、考える。
☆そうすることが時代を超えた多角的視点や複眼思考を創発するよきトレーニングの機会だからだ。それに電車の移動が長いから、思索の時間にぴったりだ。すぐに爆睡してしまうが。
☆ともあれ、こだわりを自ら解放する=コペルニクス的転回を行うことが自己変容型知性だと思っているが、さすがにかなりの老人になってきたので、頭脳のパフォーマンスは相当落ちてきた。
☆はやめに、自分の少ないネットワークを仲間に継承してもらわないと。いらないと言われる場合が多いし、ホンマノオトに書かれるのは迷惑だと陰口をたたく方も多くなってきたから、そろそろ引退なのだけれど。。。だったら徹底的に楽しんでみようかと。
☆そんなことを感じる今日この頃だけれど、見渡すと周りにはC領域思考人間の仲間しか残っていない。「仲間しか」という表現は間違っている。ありがたいことにという言葉を添えなければなるまい。
☆それに分断ではない。自己変容型知性の持ち主は、必ずいずれC領域にやってくる。そのときはいつでもウェルカムだ。
☆だけど、C領域思考人間の振りをして、近寄ってくる方もいる。ニッコリ笑って、その場を立ち去ることにしている。触らぬ神に祟りなしである。
☆そうそう、これからは英語の時代だが、英語の教師でA領域思考の人間が、最も問題かもしれない。つまり、2020年大学入試改革の英語が問題は、4技能英語ではなくて、英語の教師の中に、C領域思考人間が少ないことだ。
☆ネイティブスピーカーの教師がたくさんいるところは、ここを回避できる。なぜなら、日本の英語教員は、海外留学でもしていない限り、あるいは大学のメジャーが英語でない限り、A領域思考人間として育成されている。そうでないといおうが、少なくとも思考コード的発想が皆無なのだから、育成されているはずがないのである。
☆どうやって見分けたらよいか?英語入試の問題をみよ。三田国際モデルだったら、OK。かつての英検モデルなら、危ないかもしれない。
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