思考コードで見る「教育・産業・社会」(20) 落合陽一氏のデジタルネイチャーが作る近未来
☆落合陽一氏の世界観を象徴する「デジタルネイチャー」という世界システム観の実現はそんな遠い未来の話ではない。20世紀に凝結したルネサンスや産業革命、宗教改革、市民改革、大航海時代以来作られてきた「近代社会」。これを超克するという概念。
☆しかしながら、「超克」といっても、アップデートという意味だとは思う。というのは、近代の理論的支柱であるデカルト、ロック、ルソーの思想をシフトしようと言う話だからだ。
☆彼ら以降、近代社会は、自然状態と社会状態をめぐって、どう両立させるか、排除するかをめぐって、議論が絶えず、それゆえ、言語や記号のシステムは合理的に運営されてこなかった。そのため、論者によってシステム観も価値観も違い、ぶつかり合い、それが差別や戦争、パワハラなどど権力的活動が常に働いてきた。
☆落合氏は、このような二項対立を捨て去るために、人機融合システムに、近未来はなると。つまり最適化の自然状態と社会状態の融合状態になるのだとする。
☆AI社会によるコンピュータの進化がそういう帰結に至るだろうと。特にブロックチェーンによる経済社会は、ウィリアム・モーリスのユートピアを想起するような社会を思い描いている。
☆しかしながら、落合氏は社会主義的システムを思い描いてはいない。あくまで、パーソナライズを想定している。
☆要するに、自然、社会、精神が最適化された循環が起こるのが近未来だと。ブロックチェーンによって、お金の中央集権化が無化され、ビットコインなどのICOによるトークンエコノミーになるのだと。
☆ビットコインというと、まだまだ事件が頻発していて、エッと思うかもしれないが、20世紀にピークになった欲望資本主義を最適資本主義にアップデートするシステムとしてもっと進化するということだろう。
☆現状、あらゆる場所で地域通貨ができても、ユーロになった背景にある、互換するのが面倒くさいわけだが、デジタルネイチャーでは、高度計算機が運営していくからそこは問題ない。Tポイントなどのポイント制は、まだ互換されていないが、近未来の可能性がないわけではない。
☆究極的には、自分通貨が発行できる。ただし、互換されるには、自分の信用力をどう発信するのかということである。そこでメディアアートというセルフマンジメントが必要になってくるのだと。アートと起業ということ。
☆しかし、これを可能にするには、自分ひとりでなんでも可能にする高度コンピューティングシステムとその技術が必要になってくる。
☆この行きつく世界システムは、どこにも中央集権システムが存在せず、パーソナライズで、それでいて最適化コラボレーションができる社会。つまり、結局は、ルソーの語る理想的な自然状態ができるわけである。
☆結局、落合氏は、本人はどう思っているかわからないが、≪私学の系譜≫であり、中央集権化を推進し≪官学の系譜≫の正当化理論を強固につくった東大初綜理加藤弘之とは考え方が全く違う。
☆そして、そのような近代官僚社会を内側からアップデートさせようとした開成の初校長高橋是清のミームを継承しているかのようだ。高橋是清は、革命家ではなく、国家をなんとか人的力で最適化しようとした私学人である。開成から多く東大に進学させ、官僚を内側から最適化しようと学内で説いていた。
☆そんなことは、落合氏にとってはどうでもよいことかもしれないが、教育のアップデートを考える際に、氏はポートフォリオマネジメントと金融投資能力がポイントであると語る時、その前提には、AIやブロックチェーンのシステム、そしてメディアアートが明快にあるわけである。
☆どうやら、各教科の知識はAIに任せ、最適化社会を生み出すコンピューティングシステムを中高時代から学ぶクリエイティビティ、つまりクリエイティブクラス育成の教育が必要とされているのが近未来ということのようである。
☆そして、クリエイティビティは徹底的にパーソナライズされたという意味で多様性が必要であり、その多様性が徹底的にコラボできるコミュニケーションアートスキル=C領域思考スキルが条件なのである。
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