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2019年中学入試の新フレーム(75) ≪妥当≫な学校選択の考え方③

☆≪妥当≫な学校選択の考え方の一つのそして大きなポイントは、カリキュラムイノベーションであると書いてきた。ところがだ、カリキュラムイノベーションするだけでは、その学校は時代の精神に対応する妥当性をもっているかというと、それが必ずしもそうではない。

☆実は、妥当かどうかは、広報活動が清浄な空気を生み続けているかどうかが重要である。清浄な空気を溢れるほど生み出している広報活動を行っているところは、結局人気が高いのである。
 
☆麻布や開成、武蔵、栄光、聖光が人気を持続しているのは、塾歴社会に囲まれ浸食されている状況にあって、学内ではそれに抗ってカリキュラムの普遍性(イノベーションではない)を維持する闘いを学内で挑んでいる姿が映し出されているからだ。おおたとしまさ氏が、塾歴社会を解剖し、そこから御三家を救済しようと挑んでいるが、彼に全面的にそこを任せるという広報活動を開始したからこそ持続できている部分も大きいのである。
 
☆ところが、塾歴社会が侵食していない学校において、同じ広報戦略を行ったとしてもうまくいかない。そこで、カリキュラムの普遍性を追究するのではなく、イノベーションを図ろうというのである。
 
☆そして、それはいばらの道である。キリスト教やイスラム教など世界宗教になったのには、広報戦略が極めてうまくいったからである。それは、クリスマスや復活祭、メッカ巡礼や毎日の祈りというルーチン化などの体験イベントがあったからであるが、何といっても聖書やコーランなどの聖典の存在があったからである。
 
☆聖書が広報の道具だと言ったら、それは怒りを買うだろう。そう、道具ではないのである。聖書は魂であり、広報はその魂を多くの人と共有する魂の守り人である。
 
☆しかし、カリキュラムイノベーションを行っている学校において、生徒募集がうまくいっていない学校は、この広報機能を道具として出島として扱っている。つまり、聖書を道具化しているのと同じなのである。
 
☆これでは人気はでない。広報は人体でいえば、心臓つまりハートすなわち魂なのである。その想いが共有されず、広報と教務活動が暗黙の差別化が行われている学校は、一時人気がでたとしても、長続きはしない。
 
☆では、広報機能が心臓と同じような働きをするとはいかなることか。つづく。

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