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2019年中学入試の新フレーム(76) ≪信頼性≫ある学校選択の考え方

☆何が正しいか、何が真理か。これこそ正しい、これこそ真理だというのは、絶対精神としてモノ化してしまっているから極めて危険だ。これがかなり正しいかもしれないとかこれがかなり真理に近いかもしれないという確からしさは、わかるが、未規定性であることに変わりはない。

☆つまり、正しいとか真理だとかいうモノは、妥当性、信頼性、正当性の関係総体という確からしいさを生み出すコトが支えている。
 
☆モノ/コトは表裏一体だし、ルビンの壺よろしく、人間関係のシチュエーションによって、反転し合う。
 
☆コトを語り合うのが対話だが、コトは、モノがなければ開かれない。ところが、モノはコトを切り離しても話せるし、そのほうが気軽でカジュアルだと誤解される。
 
☆今はそんなことはないだろうが、かつては、エンジンを変えなくても車体のデザインを変えると、車は売れるのだと言わてきた。構造より現象なのだと。コトよりモノなのだと。
 
☆かくして、モノ化した人間とコト化した人間が現れる。圧倒的に20世紀型政治経済社会はモノ化人間が勝ち組になて来た。
 
☆ところが、最近医学部の入試で、C1(CEFR基準で)英語を要求するようになってきたし、C1レベルの英語教育を行うことを目標にする学校も現れてきた。かつて、B2あたりを目標にしていたそれらの学校が、C1にアップグレードすると、それまで、英語は意思伝達の「道具」だとか「ツール」であるという比喩を使っていたのが、C1英語は、いかにして言語と思考の相関関係を創るのかと問いだすようになった。
 
☆この段階での言語とは、英語とかフランス語とか日本語などよりも広いし、はじめにロゴスありきに近い意味にシフトしている。思考レベルもロジカルシンキングから創造的思考まで奥行きが深くなっている。
 
☆つまり、モノ化された英語教育からコト化された言語=思考の学びに転換しているのである。
 
☆だから、そのようなコト化を重視する学校の広報が、モノ化を重視する学校の広報で行うと、コトを表現することができずに、モノ化した表現しかできない。それゆえ、広報機能は道具としてしか機能しなくなる。
 
☆しかし、NHKをはじめ、人体シリーズの番組でも取り上げられるようになったが、脳だけではなく、臓器も互いに情報を交換し、人体の生命を生み出し持続していることが解明され始めている。
 
☆したがって、心臓も脳と同じようにメッセージを生命に投げかけているのであり、血液循環のポンプとして道具化=モノ化された機械ではないのである。
 
☆というように、広報機能は学校にとってコトを可視化し(可視化するとモノ化に転換するが)、新たな関係を生み出す心臓=ハート=魂の役割を果たしている。
 
☆しかし、この段階で、このようなコト化を重視する広報機能のある学校は、妥当性ばかりか信頼性も勝ち得る学校となる。
 
☆残念ながら、IT業界は、ネットワークと言いながら、モノ化された格子点をつないでいくだけだから、疑似コト化であって、フリーズしたモノ化を氷解させるコト化の議論をする方は少ない。もちろん、私の信頼すべき福原氏や伊藤氏はモノ/コト関係について洞察力が鋭い。
 
☆こうして学校の環境は、どんどんモノ化されていく。しかし、それは食い止めることなどできないわけだから、学校側がコト化を重視し、モノ化の要素が入ってきたら、コトに変容させる免疫力を高めておく必要がある。
 
☆それが強い組織を創ることにもつながる。もちろん、この免疫力が弱い場合、モノ化された学校になる。200年前に誕生したフランケンシュタインの学校となる。あるいは、50年前に誕生したゾンビの学校となる。
 
☆実は≪妥当≫な学校選択だけでは、フランケンシュタイン化した学校かどうか、あるいはゾンビ化した学校かどうか見分けはつかない。
 
☆モノ/コトの相互関係があるかどうか見極める目が必要となる。そのとき、≪信頼性≫のある学校選択というステージに進む。

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