【C軸思考問題】 ドローイングはイメージではない。
☆インドネシアで活躍するアーティストやその仲間である日本のアーティストと話をしていると、いつも、私たちは、インプット・アウトプットモデルにドクされているなあと実感する。
☆しかし、気づいても、なかなか日常では、そのモデルから離れることができない。
☆A軸思考、B軸思考は、おそらくインプット・アウトプットモデルでよいのだろうが、C軸思考は違うのだろう。
☆わたしたちは、クリティカルシンキングやクリエイティブシンキングをトレーニングするテキストを創ってこなかった。創る必要もなかったし、創れなかったということもあるだろう。
☆せいぜいできることは、表現が予めイメージしたものをはるかに超えるイメージを生み出すという体験WSを積み上げるしかないのかもしれない。
☆体験→イメージではなく、イメージ=描く行為が体験よりも豊かなリアリティを生み出すのかもしれない。しかし、そうであれば、イメージ=描く行為は柔らかい幾何などでできてしまう。もっとも、一般に私たちが教わる数学は、硬い幾何である。そこが変えられれば。。。
☆ともあれ、21世紀型教育機構のSGT、かえつ有明の教師、成城学園の教師、聖学院の教師、静岡聖光学院の教師、カンザキメソッド代表との連日の対話によって、そんなインスピレーションが降った来た感じ。
☆今日のところは、グールドのバッハよりもリヒテルのヘンデルの旋律/戦慄が、この気持ちにピッタリなのが何とも語り得ぬイイ感じだ。
☆さあて、今日は、暖簾も看板もない隠れ家で、クロード・レヴィ=ストロースをこよなく愛する先生と一献傾けながら対話。理論を授業実践に結びつけて、考えることは、内容を表現するのではなく、ブリコラージュ的に創り上げることだとしている。
☆ブリコラージュ的授業。表現は伝える行為ではなく、新たな関係を結び付ける創発の瞬間を生成する。ワクワクするような授業なのである。
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