「事実は小説よりも奇なり」というフィクション
★私たちは事実を神経と脳と身体全体で表現に変換して表現します。日々の食事という事実も実は表現に変換しなくてはわからないのです。だから、確かに「事実は小説よりも奇なり」なのですが、それも表現です。
★表現はフィクションの可能性がありますね。したがって、事実であると思っても、それはフィクションかもしれません。でもそれは虚構ではありません。
★他者と事実として納得し合えるかどうかと科学的な議論ができるかどうか。もしできたら、そのフィクションは事実と名付けられるのです。
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