経済・政治・国際

今なぜ私学人か クーデンホーフ・カレルギーの現代性

Photo ☆2006年教育基本法の改正以来、私立学校の先生方と≪私学の系譜≫論や≪私学人≫について語り合う機会が増えたという話しは何度も本ブログで書いてきたが、まだまだ語りつくせないし、その重要性の発見はこれからも続きそうである。

☆というのも、たとえば、共立女子の教頭渡辺先生とは、いつもEUの父クーデンホーフ・カレルギーの友愛革命思想と共立女子の教訓「友愛」の歴史的結びつきについて話をし、刺激を受けるのだが、伯爵の論文を実際に読んでみると、なるほど渡辺先生が語る伯爵の友愛革命の現代性に思い知らされるからだ。

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世界同時不況に対応する今後の学校経営②

Photo ☆前回「世界同時不況に対応する今後の学校経営」で、私立学校の教育理念こそ、このような壁を乗り超える言動のエネルギーであるという旨を述べたが、「逆説の経営学」寺岡寛(税務経理協会2007)という本を読んでいて、なるほどと気付いた点がある。

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世界同時不況に対応する今後の学校経営

☆3月期決算を間近に控え、各大手企業は大幅な最終赤字予想に追い込まれる見込み。日立製作所7000億円、パナソニック3800億円、トヨタ自動車3500億円、東芝2800億円、日産自動車2650億円、ソニー1500億円・・・。製造業大手は総崩れ状態。そんな中で、黒字組はホンダやスズキ、三菱電機だという。在庫整理とイノベーションに早めに着手したからだろう。

☆しかし、製造業は、中国を中心とするアジアのマーケットでおそらく復活するはずだが、やな兆しは、3メガバンクの3月期連結決算の税引き後利益が、赤字に転落する見通しという話題。融資先企業の業績の低迷が保有株に影響したのだろうが、銀行からの資金の流れが途絶えると、一気に景気は沈む。

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私学の経済ポジショニング[29]私学選択は格差社会を拡大するか?

☆日経新聞(2008年9月29日)の連載コラム「まなび再考」において、お茶の水女子大学教授耳塚寛明氏は、高学歴高所得者層の私立中学選択によって、「社会的地位は次世代へと相続される度合を強め、社会の分断化が進む」と語る。要は社会格差を拡大するということだ。

☆一方で、この富裕層の行為を、対価を払い「合理的かつ正当な手段で学力・学歴獲得競争に勝負を挑む」行為とみなしている。もちろん好評価をしているわけではない。さらにこうも表現しているからだ。「彼らが主張するだろう主観的正当性」と。

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私学の経済ポジショニング[28]聖ドミニコ学園の深層

聖ドミニコ学園は幼稚園から高校まであり、中高一貫校という切り取り方で理解することは不可能である。というのも、小学校までは男女共学で、中学からは女子校になるため、小学校で卒業する男子の数だけ中学受験で募集するから、テスト会の偏差値では学校の深層を汲み取ることができない。

☆また、進化論的合理的官僚的近代化路線である欧米普遍主義とは相いれない、解放としての普遍的普遍主義がゆえに、東大を頂点とする学歴社会も度外視しているため、大学進学実績だけでは、やはりその深層は測れない。

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私学の経済ポジショニング[27]OECD専門家セミナーと白梅学園清修[了]

私学の経済ポジショニング[26]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑪のつづき。白梅学園清修の形成的評価活動がOECD/CERIのジャネット・ルーニー氏の考え方とどれくらいマッチングしているのかについて観てきた。ルーニー氏の形成的アセスメントを構成する6つの要素に照合しているのだが、どうやら要素3までのマッチングで十分であるという気がしてきた。要素4以降は、要素3までに照合してきた清修の活動ですべて語れてしまうからだ。もはや要素5と6について語る必要もないが、念のため確認して今回の作業は終了ということにしたい。

☆要素5は「生徒の学力達成状況へのフィードバックと確認されたニーズに応じて授業を合わせること」。サブテーマは2つ。

1)効果的なフィードバックを与えるとは、

 ●タイムリー

 ●特定の

 ●改善の示唆を与える

 ●児童生徒達成事項への期待に関する明示的なクライテリアに結ばれる改善のための示唆を含む

 ●学習の成果物というよりはプロセスに焦点を当てる。

2)フィードバックプロセスで集められた情報は、児童生徒のニーズに教師が授業をよりよく合わせるのに役立つ。

☆フィードバックは質問―回答の連鎖であるコミュニケーションと同じである。また、生徒のニーズに合わせて授業を改善する教師同士のコミュニケーションは日常茶飯事。この要素も十二分に満たしているといえる。

☆要素6は「学習プロセスへの生徒の積極的な関与」。サブテーマは4つ。

1)足場組の学習

2)生徒が学習方略(戦略)のレパートリーを作りだすのを手助けすること

3)ピア(仲間による相互)アセスメントや自己(把握・申告)アセスメントのための技能の機能

4)生徒の役割をピアアセスメントと自己アセスメントを活用して高めること

☆この活動は、入学するや始まる。チーム学習、議論、自己評価、チームビルディング、ロールプレイ、編集、プレゼンテーションなどがすぐに始まる。これら自身が足場組の学習でもあり、電子ボードを活用した授業やイギリス研修のレポートづくり、数学のレポートづくりなどに飛び火していく。セルフラーニングタイムはその結晶態だろう。

☆かくして白梅学園清修はOECD/CERIの考える形成的アセスメントの教育活動をパーフェクトに満たしている。ゆえに、今回の専門家セミナーで報告を要請されたのであろう。

Photo ☆ところで、この形成的アセスメントができるには、ある大きな条件がある。それは授業のシステムが従来の知識の不足を補う座学形式ではできないということである。古くて新しいこの活動。なぜ日本の教育システムになじまなかったのか。それは当然だろう。一方通行的情報伝達・確認の講義形式が中心だったからである。

☆もはや言うまでもないが、私はしつこい性格なので、確認したい。白梅学園清修で形成的アセスメントが完遂されているということは、他校にはない授業システムが浸透しているということであり、このシステムを理解できる中学受験生とその保護者、そして塾関係者は相当見識があり、未来志向であるということである。つまり白梅学園清修の教育の質を理解できるかどうかは本質的教育を理解できるかどうかの試金石=クライテリアなのである。

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私学の経済ポジショニング[26]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑪

私学の経済ポジショニング[25]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑩のつづき。形成的アセスメントを構成する4つ目の要素は、「生徒の理解をアセス(把握・予想)することへの様々なアプローチの使用」。サブテーマは3つ。

1)診断的アセスメントの使用。

2)質問する。

3)テクニック(信号機)、手を挙げさせる代わりに考える時間、ポートフォリオ・ログブック・およびルーブリック。

☆3)の信号機というのは何を意味しているのかわからない。ちゃんと質問しておけばよかった。たぶん生徒の能力を知る手がかりを教師側の勘ではなく、パソコンで分析できるようなソフトやアプリケーションのことだろうか。ともかく生徒がわかる・わからない・あいまいなどの信号を記号で自ら示す技術のことだとは思うが。

☆仮にそうだとすれば、白梅学園清修の場合は、上記3つのサブテーマについて、今までご紹介してきたきたことですべて説明がつく。

☆中でも2)の質問するという行為は、ポイントである。まず質問するというのは、コミュニケーションの基礎である。一方的に教え込む授業は、言葉を放っているから、コミュニケーションが行われているように見える。

☆しかし、日常のコミュニケーションでも、議論でも、自分で考えるという自問自答でも、コミュニケーションとは質問と回答の連鎖なのである。質問のない言葉状態は、コミュニケーションではない。ディスコミュニケーションというのである。

☆言葉であふれる空間。しかしそれはディスコミュニケーションなんて状態を想像するだけでゾーーッとする。意外と多いんだなぁ。そんなディスコミュニケーションを撲滅する方法は質問と回答の連鎖をオープンに形成していく日常が必要だが。それは柴田副校長のブログを見れば実に豊かに広がっていることが直感できる。

☆さらに質問のポイントは、教師側からだけではなく生徒側からもということ。それから質問のタイミングとレベルバランスがポイント。タイミングを逸すると、モチベーションを下げる場合もある。今考えているのに・・・となる。それからレベルバランス。確認のための質問ばかりだと、対話が疲弊する。インスパイアーする刺激的で盛り上がるコミュニケーションを生み出す批判的で創造的な質問も必要。白梅学園清修の言語空間は質問と回答の多次元空間で満ちている。世は批判的質問を非難だと誤解する環境が多いというのに。

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私学の経済ポジショニング[25]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑩

私学の経済ポジショニング[24]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑨のつづき。形成的アセスメントを構成する3つ目の要素は、「多様なニーズを満たす様々な指導方法の活用」である。サブテーマは次の5つ。

1)教室での課業においていくつかのオプションを生徒に提供する。

2)概念を説明するのに異なるアプローチをしようとする。

3)豊富な種類の活動を持った活発な授業。

4)スケジュールが変化に富んでいる。

5)順調に伸びている生徒の学力を発達させることも、手助けを必要としている生徒に追加の補助を提供することも。

☆1)については、学習指導要領を拡大している領域はすべてオプションだと考えてよい。すべての教科で、文科省が与えるミニマムの境界をはるかに超えた内容が学習されている。

☆2)については、どの教室も電子ボードが使えるので、マルティメディアの学習ツールを使用することにより、概念を説明するのに異なるアプローチが手軽にできる環境になっている。しかし、数学に顕著なように、一つの問題の解き方を、代数的アプローチで考えてみたり、幾何学的アプローチで考えてみたり、多角的な考え方ができるように工夫されている。東大の問題を中学数学で解くチャレンジは、解くことが目的ではなく、数学とは何か、その本質に迫る授業が展開されているのだ。

☆3)については、議論、調査、発表、もちろん体験など、座学だけではないアクティブな授業である。

☆4)については、65分授業あり、短めの授業あり、セルフ学習の時間あり、エリアコラボレーションという地域密着型アクティビティありで、一日の中でも変化に富んでいる。一年通じて、校外学習も多様で、生徒は自律し楽しみながら活動しなければ、目が回るほどだろう。

☆5)については、これはそれぞれの生徒の学習ゴールを調整することと同じであるから、すでに前回紹介した。セルフラーニングタイムで、指名制・発展学習・飛び級的発展学習という3階層で柔軟に対応している学習環境を設定している。

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私学の経済ポジショニング[24]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑨

私学の経済ポジショニング[22]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑧のつづき。ジャネット・ルーニー氏の語る6つの形成的アセスメントの要素のうち、2つ目の要素に進もう。その要素は「学習ゴールの確立とそれらゴールに向けた個々の生徒の学力進歩の追跡」であり、そのサブ要素は、次の2つ。

①生徒の学力進歩を追跡すること。

②学習ゴールを調整すること。

☆①についてだが、入試→学力状況を診断するテスト→アチーブメントテスト+各種検定試験→・・・・と続いていて、すべてデータベース化されている。このテスト以外にも、確認テストや添削や論文指導、スピーチ指導などが織り込まれている。すでに紹介した毎日のSTUDENT BOOKもある。

☆単純にテストの得点スコアの推移を見るだけではなく、どの問題のどこの思考プロセスで躓いたのか、どうすればクリアできるのか、白梅学園清修の教師は日々探究把握している。

☆②については、あらゆる学習環境の中で行われているが、最も特徴的なのはセルフラーニングタイムだろう。これについては清修のホームページに的確に紹介されているので、それを引用する。

●月~金までの放課後の1コマは、指名制による「その日のうちの理解」と、「発展学習」に着手できる自学自習空間を設けます。自己学習といっても、完全に放任するわけではありません。全教科担当が常駐し、生徒の学習をタイムリーに手助けします。

●「飛び級」的な発展学習にも挑戦します。
授業の際に「発展学習」としての教材を紹介し、放課後に解答・解説を行います。また、中1の段階から「大学入試アプローチ学習」として、理科・数学にも重点を置いた知的刺激教材に組み込んでいます。

●自己管理を徹底します。
中学の3年間は「スチューデントブック」を用いて、生徒が自身のスケジュールを組めるよう、生徒一人ひとりのスケジュールを見て、丁寧にアドバイスします。そうすることで、次の3年間はしっかりと自分自身で組み立てることができるようになります。

☆指名制・発展学習・飛び級的発展学習という3つの段階に分けられるには、生徒の学力進歩を的確に把握していなければならないし、清修の場合は、この把握を生徒とも共有している。生徒自身が振り返る力を持つようになるからこそ、セルフラーニングタイムは意味があるのである。そしてここでもログブックとしてのSTUDENT BOOKは大切な役割を果たしている。

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私学の経済ポジショニング[23]東京都私立学校展開催される

Sigaku ☆8月23日(土)・24(日)の2日間、東京国際フォーラムにおいて、東京都私立学校展(進学相談会)が開催された。東京都のすべての私立小学校、中学校、高校が一堂に会した。98年・99年の私学危機以降、各学校が開催する独自の説明会だけではなく、私立学校が協力し合って私学の存在意義を世に問う重要なイベントとして開催されるようになった。

☆私学の存在意義とは、大げさなと言われるかもしれない。しかし、良し悪しは別にして、先日プロ初優勝した石川遼選手にしても、北京オリンピックで史上初の平泳ぎ2大会連続2冠を達成した北島康介選手にしても私立学校出身だし、東京大学の進学実績を圧倒しているのも私立学校である。いかに私立学校の総合的な教育の質が高いかわかるだろう。

☆しかし、2006年に教育基本法が改正されてからというもの、それに基づいて着々と≪官学の系譜≫の巻き返しが水面下で進んでいる。私立学校展を開催しながら、私立学校の経営陣は、そのリスク回避のために奔走し、理論を組み立てている。

☆今や私立学校の教育の質は、世界標準を超えている。ただし、まだまだ見える化されていないし、それを表現する形式知=新たなコードが確立されていない。新たなコード=選択指標を確立し、表現する言論の自由の保守こそ私立学校の使命であり、一方でジャーナリズムの責務でもある。今後のマスコミの表現革命に期待したい。

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私学の経済ポジショニング[22]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑧

私学の経済ポジショニング[21]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑦のつづき。ジャネット・ルーニー氏が語った形成的アセスメントの6つの要素のうちの「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」の3つ目のサブテーマ「③単に活動を計画するというより、むしろ生徒の『学習』の計画を立てること」について。

☆たとえば、今日は数学の三平方の定理を勉強しようという学習活動のスケジュールを立てるだけでは、子どもたちの思考のプロセスはわからない。プロセスがわからなければ、どこでどんな感じ方をしているかわからない。感じ方がわからなければ、どこでどんなストレスを抱えているかわからない。

☆そこで、白梅学園清修は生徒手帳をアセスメントツールとしても活用している。六穴の生徒手帳「STUDENT BOOK」は、カバーは自由で、個性的だが、中身は白梅学園清修の教育が不易流行として存在している。不易の部分は、クオリティ・ライフをいかに作っていくかという生徒と教師のコミュニケーションの場であるというところ。流行の部分とは、六穴だから、ページを差し替えることが可能というところ。

☆「STUDENT BOOK」を毎日使うことによって、関数的な概念が鍛えられる。BOOKそのものは、方程式だが、中身は変数である。係数は、自分なりのデザインを選択したカバーである。この手帳のページのデザインや、それぞれのカバーデザインについては、かつて以下のページで紹介したので、参照してくだされば幸いである。

参照①)白梅学園清修の人気の秘密

参照②)白梅学園清修の見えないカリキュラム

☆さて、形成的アセスメントの話に戻ろう。このSTUDENT BOOKに、生徒は家庭学習を何時間するとか、家の手伝いとして何を行うのかとか、何時間寝るのか、体調はどうかというのを書き込む。生徒自身の振り返りとして実に有効だが、同時に、毎日教師もこのページを共有し、メッセージを投げかける。自由記述のところには、生徒の思いが書き込まれ、教師は共感する。

☆人間関係について悩む生徒もいるだろう。そのとき教師は共感し、メンターとしうてメッセージを投げかける。このコミュニケーションが「学習」の計画を立てることなのである。つまりあなたはこういうレベルだねと決め付けるのではなく、どうしたらよいのかいっしょに教師が考える。そしてメッセージを投げる。このメッセージこそが形成的アセスメントである。

☆そのメッセージをどう受けとめ、どう考え、どう感じ、何をすべきなのか。生徒自身が考えるきっかけになる。もしきっかけにならなければ、それは教師のメッセージに問題があるのかもしれない。生徒と教師の信頼関係に何か課題があるのかもしれない。mentor(よき助言者)のつもりがtormentor(苦しめる人)になっているのかもしれない。

☆ある生徒にとってはmentorとしてのメッセージだが、他の生徒にとってはtormentorとしてのメッセージになっているかもしれない。

☆この試行錯誤がなければ、本当は「単に活動を計画するというより、むしろ生徒の『学習』の計画を立てること」などできないのだ。そんなことを実行している学校がたくさんあるだろうか。この問いにポジティブな回答が用意されていないのが日本の教育の実態だろう。白梅学園清修の試みが全国から注目されているのは、ここなのだ。

☆そして、忘れてはならないのは、tormentorになるリスクヘッジをどうするかである。どんなに配慮しても教師はtormentorになってしまう場合がある。ならないように研修はするが、なってしまう時もある。ならないようにするには、勉強だけ教えていればよいのだが、それではタフでタレント豊かな人間作りはできない。問題は許容と寛容なのだ。この信頼関係のマネジメントを、生徒・保護者・教師の間に貫徹できるリーダーシップの存在が肝要である。

☆今のところ柴田副校長がそれを担っているが、おそらくエンパワーメントを研修の中で実行しているであろう。これがハビトゥス(文化資本の再生)であり≪私学の系譜≫づくりである。そこらへんは、いずれまたご紹介したい。

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私学の経済ポジショニング[21]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑦

私学の経済ポジショニング[20]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑥のつづき。ジャネット・ルーニー氏が語った形成的アセスメントの6つの要素のうちの「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」の話に戻ろう。2つ目のサブテーマ「②生徒の個性や文化の違いを認めること」について。

☆これは、言うは易く行うは難しという側面だ。日本の教育は、生徒の個性を大いに認めていると言われるかもしれない。しかし、現実は違うと謙虚に受けとめたほうがよい。個性を認めていたなら、40人学級の運営は、もしかしたらできないのではないだろうか。

☆その点においても白梅学園清修は、少人数クラス編成である。しかし何より、どうやって個性や背景にある文化資本を知ることができるのだろうか。

☆だいたい個性とは何だろうか。個性の違いは、共通の基準に照らし合わせて知ることができる。ルーニー氏のいうクライテリアというものがあるかどうかが肝要ということ。白梅学園清修の場合、それはまだ成文化されていない。もしかしたらイギリスの法概念と同様、不文法でよいのかもしれない。慣習や判例の集積とその共通解釈を、教職員、生徒、保護者が作っていく。その対話や議論の過程を大事にしているのかもしれないし、それが伝統となり白梅学園清修の文化資本となる。

☆だから、毎朝正門から玄関まで、教師が立ち、生徒を迎える。それは形式的な挨拶をすることが目的ではない。その日の生徒との呼吸のリズムと心理的距離感を体感しているのであろう。リズムや距離感は生徒一人ひとり日々違う。まったく同じなのも問題があるかもしれないし、逆に日々違うことが躍動感を示していたりする。マニュアル化できない重要なシーンである。

☆教職員は自分の感覚を他の教職員と対話することで、ズレを認識し軌道修正して、生徒にたち臨む。生徒一人ひとりが腑に落ちる声掛けをする。ルーチン化した声掛けは個性を埋没させる。言葉は常に生き物であるというのが白梅学園清修の心意気だ。クライテリアを日々確認するシステム。これが個性や文化資本の違いを映し出す清修の奥義なのではあるまいか。

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私学の経済ポジショニング[20]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑥

私学の経済ポジショニング[19]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑤のつづき。そうそう、これも忘れないうちに書き留めておかなくてはならないのであるが、ジャネット・ルーニー氏は総括的アセスメント不要論ではないのである。むしろ、総括的アセスメントと形成的アセスメントのバランスを大事にする。

☆このバランスがうまくいけば、両アセスメントのシナジー効果が生まれる。つまり、総括的アセスメントを活用する従来型のテストのデザインが変わるというのである。そのようなテストでも十分、思考の広がりや深まりを測るデザインが可能になるというのだ。

☆たしかにOECD/PISAのテストの作り方はそうだし、全国学力テストのB問題も、巧くはいっていないが、それを狙っている。公立中高一貫校の適性検査もそうかもしれない。麻布や開成、海城の中学入試問題は、すでに形成的アセスメントができるデザインが埋め込まれている。

☆白梅学園清修でも、数学科の戸塚先生は、同じようなテストのデザインにチャンレンジしている。算数であっても、数学的思考力のプロセスを見ることができる問題づくりの創意工夫をしている。生徒の思考のプロセスに注目すれば、一人ひとりの思考力育成のメニューが的確にできる。

☆学びの領域ではなく、学びのプロセスに注目することによって、中学の段階で解決できる大学入試問題もある。中3の夏の講習では、大学入試問題にチャレンジしている生徒がいる。しかし、高校数学の知識があるわけではない。数学的思考力でぶつかっているのである。

☆このシーンは実にシンプルで深い話なのである。いずれジョージ・バークリーの関数概念思考を紹介したいと思っているが、バークリーと同様の思考の革命が、形成的アセスメントを埋め込んだテストには反映している。こんなことを言っていると、柴田副校長に叱責されそうだが、結論から先に言うと、総括的アセスメントは物質主義的考え方で、形成的アセスメントは超物質的考え方なのである。思想の永遠の論争である普遍論争に突入する。

☆総括的アセスメントか形成的アセスメントという問題は、人類の古くて新しい問題なのである。

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私学の経済ポジショニング[19]OECD専門家セミナーと白梅学園清修⑤

私学の経済ポジショニング[18]OECD専門家セミナーと白梅学園清修④のつづき。2008年8月29日、千代田区丸の内にある東北大学東京分室で、「専門家セミナー」が開催(主催 国立教育政策研究所 初等中等教育研究部・共催 東北大学大学院教育学研究科)され、OECD/CERI(教育研究革新センター)の評価研究プロジェクトリーダーだった、ジャネット・ルーニー氏と共に白梅学園清修の柴田副校長がスピーチをされたわけだが、なぜ東北大学の有本教授が柴田副校長を招いたのか。

*テーマは「キーコンピテンシーと形成的アセスメント」。

☆その点について、先進事例としてしかあまり考えが及んでいなかったが、本エッセイを書きながら、ふと気づいたことがある。なかなか先に進まず本題からそれるかもしれないが、極めて重要なことなので、忘れないうちに、書きとめておきたい。

☆形成的アセスメントというと、どうしても生徒の学びのプロセスに目がいきがちなのだが、白梅学園清修に入学する時点でもそれがあるのだ。入学試験それ自体は、総括的アセスメント(サマティブ・アセスメント)。つまり何点取れたかで合否という評価が決まる。

☆しかし、入学してすぐにチームベースのオリエンテーションやプログラムが始まる。しかもそのプログラムは入学者が決まってすぐに調整されるのだ。もし入学試験の結果だけでプログラムを作るとなると、こういうきめ細かい作業は不可能だ。入学試験以外に何がなされているのか?何もなされていないのだ。

☆ただし、多くの生徒は白梅学園清修の教師、特に柴田副校長とは、学校説明会終了後の個人面談(相談会)で対話をしている。あっ、そうか。ここから生徒の特長を把握しているのである。

☆これらはまったく合否には関係がない。ただ、入学後すぐにどのように一人ひとり育てていくか担任を中心にプランを立てるためのデータになる。形成的アセスメントの特徴は、とにかくその生徒のデータを細かく大量に収集し、分析するところから始まる。

☆なるほど、有本教授の直観は的中したわけだ。大学進学実績や偏差値にこだわらない入試。つまり、教育の質で勝負する入試とは、言いかえると総括的アセスメントよりも形成的アセスメントを重視する入試ということなのだ。もちろん、合否は現状では総括的アセスメントで決まっている。何せ受験という既成のシステムがあるから、そこを無視するとマーケットから締め出されてしまう。

☆現状では、合否は総括的アセスメントで、そして入学するや否や生徒一人ひとりの育成プランを立てる際には形成的アセスメントでというシステムを構築していたのだ。

☆これはすごいことなのだ。なぜかというと、総括的アセスメントによる合否の判断基準は、得点数の大きさなのだが、形成的アセスメントによる生徒一人ひとりの知性(感性も知力も倫理性も含めて)の構造(特徴)を測るには、白梅学園清修独自のかつより公共性の高い(信頼性・正当性・妥当性のある)判断基準が確立されていなければならないからだ。

☆あっ、これが今回の専門家セミナーのもう1つのテーマ「キーコンピテンシー」の話だったのだ。あるいはセミナー中に話題になっていたクライテリア(criteria)だったのだ。

☆一人ひとりの生徒の知性の構造は違うのだが、その違いを明確にするためには、いくつかの要素をチェックする判断のポイント・基準があるはずだ。柴田副校長の場合だったら、

①集中力

②柔軟性

③協調度

④傾聴度

⑤トレーニング度

⑥忍耐力

⑦謙虚度

⑧熟考度

⑨リーダーシップ

⑩尊重姿勢

⑪開放性

⑫倫理性

⑬表現力

⑭創造力

⑮寛容性

ぐらいを瞬時に見抜く目を持っている。要素として分解してはいるかもしれないが、判断するときは包括的なのだ。

☆入試問題の得点が高いからと言って、以上の資質がすべて十分という生徒はいない。逆に得点が低くても、これらの資質の中でたいへん高い質を持っている生徒もいる。徹底的に生徒と話し合い、生徒の態度を見守るチャンスをつくることで、生徒の全体的な人間力が見えてくる。6年間で人間力の基礎を育成できるシステムが形成的アセスメント。総括的アセスメントで、どんなに高得点がとれる子でも、人間力が弱い子どもは、世の中にいっぱいいる。もしかしたら大学卒業後も、高得点力低人間力という社会人は増えているかもしれない。

☆このような社会問題の横たわる今日にあって、白梅学園清修がそれを解決するフロントランナーであるかもしれないということなのである。

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私学の経済ポジショニング[18]OECD専門家セミナーと白梅学園清修④

私学の経済ポジショニング[17]OECD専門家セミナーと白梅学園清修③のつづき。ジャネット・ルーニー氏は、「形成的アセスメントとは、学習ニーズを確認し、授業を適切に合わせていくための、生徒の学力進捗状況と理解の頻繁かつ対話型(インタラクティブ)のアセスメントである」と定義している。この定義を6つの要素に分け、さらにそれぞれの要素をいくつかのサブテーマに分けて具体的に説明するという構成で話された。

☆そして有本教授は、柴田副校長に白梅学園清修の教育実践報告をしてもらうことによって、形成的アセスメントの現実化のヒントを参加者と分かち合おうと仕掛けた。

☆そういうわけで、参加者の一人としてその理論と実践の重ね合わせを考えてみようとしているのだが、やはりちょっと筆者の力量では難しいところが山ほどある。ここは専門家に任せた方がよいのだろうが、だれかがやるまでは、続けてみよう。確約はできないが・・・。

☆さて、「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」という第一の要素のサブテーマ「①生徒が教室で安心して自信を持てると感じるように手助けすること。」について考えているところだった。つづけよう。

☆柴田副校長は、報告の中で、各教室に設置してある電子ボードを使った授業についてスライドを見せながら説明していた。生徒が教室で安心できるというのは、実は世界標準の水準を超えた授業が保障されているということなのである。

☆この電子ボードは、事前に教材を準備して取り込んでおかねばならない。一般には、授業をやりながら黒板や白板に書き込んでいくのだが、清修の場合、その時間はカットされる。電子ボードに必要事項はすぐに投影されるからだ。カットされた時間で、生徒たちは議論ができるし、発表もできる。黒板に教師が書き込んだ情報をノートに写すインプット型授業ではなく、生徒も議論し、発表するアウトプット型。あるいは聞く授業ではなく、考える授業ということになる。相互作用を促進する教室文化の仕掛けが、電子ボードによって実現されているのである。

☆現象的にはなんてすばらしいシーンなのだと思うことだろう。そしてどこの学校でも真似したいと思うかもしれないが、それができないのだ。柴田副校長は、何気なく教師採用のそのほとんどが新卒であることを強調される。教職員全員の集合写真を投影されたが、なるほど若い。この若さが重要である。

☆電子ボードは、すべての教室に設置されている。すべての授業で使わねばならない。つまり、ICTの活用に抵抗を感じる教師は採用されないということを意味している。何せ生徒の方はICTを活用するのは当たり前で、情報倫理の議論を自らする世代である。ICTを使わずして倫理を語ることはできない時代なのである。

☆しかし、ICTは環境支配型のツールでもある。柴田副校長はそれを逆手にとったのである。新卒の教師はやはりキャリアが浅い。熟練した教師の技術というものを一から学んでいたのでは、新設中学の白梅学園清修の授業の水準が維持できない。これを解決するためには、脱技術しかないが、そのためのツールとしてICTは優れている。

☆天才数学教師の戸塚先生がすでに蓄積してある教材データベースがある。教務部長高添先生が創ってきた英語の教材データベースがある。これを若手教師は活用することができる。

☆しかし、授業の前日は、そのデータベースをそのまま活用するのではなく、アレンジをする作業に膨大な時間を費やすことになる。柴田副校長の目論見は大いにあたったのである。

☆データベースとして知の共有を日々できるし、新たな知を生み出すことができるからだ。しかもこの新しい知を生み出す理由がなかなか良い。なぜアレンジするかというと、それは生徒の理解の状況に応じて変化させる必要があるからだ。

☆なぜ生徒の理解の状況を把握できるのか、それは頻繁に生徒と対話する機会があるからであり、電子ボードによるアウトプット型ツールによって、授業の中でその都度新たな生徒の理解の変化を実感できるからである。

☆発表するときの生徒の表情や声質、論理、言語・・・。生徒の変化に気づくチャンスは無限である。そしてそれを聞いている仲間である生徒たちの様子。シナジー効果を生んでいるのかいないのか、瞬時に理解できる。電子ボードは、投影されつつ、そこに書き込むことができる。教材のビファー・アフターが取り込まれ、振り返りに活用できる。

☆なおかつ、アナログの添削問題を生徒は解くから、教材(デジタル)とある意味テスト(アナログ)が連動する。豊かな形成的アセスメントが電子ボードを活用するプロセスの中で育まれているのである。新卒の教師にとって、清修の1年は、通常の学校勤務の5年分の質を生み出す時間に相当するだろう。したがって、3年も勤めれば、ベテランの域に到達する。

☆戸塚先生、畔上先生にお会いするたびに、1年めのお二人と比べて、なんて頼りがいのあるタフな教師になっているのかその変貌ぶりに驚愕する。お二人の先生のこの飛躍は、デジタルな教材つくり以上にアナログな対話の手法に秘密がある。それはまた別の箇所で触れようと思う。

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私学の経済ポジショニング[17]OECD専門家セミナーと白梅学園清修③

私学の経済ポジショニング[16]OECD専門家セミナーと白梅学園清修②のつづき。形成的アセスメントという言葉は40年も前から使われているから、なんで今さらと思う方もいるかもしれない。しかし、これは人間なんて言葉も古くからあるから、なんで今さらと思うのと同じ発想だ。なるほど人間の存在の故郷は失われているのだな。こうした事態を動物化するポストモダンと称した東浩紀氏はなかなかの慧眼の持ち主だ。

☆さて、それはともかく、ジャネット・ルーニー氏の形成的アセスメントの6つの要素と白梅学園清修の教育実践を重ね合わせる話に戻ろう。まずは「1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用」という第一の要素。ルーニー氏は、この要素をさらに3つのサブテーマに分けている。

①生徒が教室で安心して自信を持てると感じるように手助けすること。

②生徒の個性や文化の違いを認めること。

③単に活動を計画するというより、むしろ生徒の「学習」の計画を立てること。

*参考文献 →J.ルーニー編著『形成的アセスメントと学力-人格形成のための対話型学習をめざして』明石書店、2008)

☆①は、生徒が安心できる教育空間、コミュニケーションがあることということである。人間というのは、呼吸をし、食べ物を摂取し排泄し、情報を五感で受信し、脳神経で統合、イメージし発信するというオープン・エンド(開放系)な生態系的な存在である。この生態系を豊かにかつ持続可能にしないと、身体の病から心の病にまでいたる。

☆それにはまず教育空間が、生徒一人ひとり違う心身の成長状態に対応できるデザインに仕上がっていなければならない。考えるスペース、議論するスペース、遊びのスペース、孤独に自分を見つめるスペース、コラボし合うスペース、食育スペース、制作するスペース、身体のコンディションを整えるスペース、心のコンディションを調整するスペース、時間の変容スペースなどの空間の制度設計がきちんとされていることが、すなわち安心と自信を「手助けすること」になる。相互作用とは、人間同士の相互作用を意味すると同時に、人間心身と環境の生態系が統合されるオープン・エンドな関係作用も意味する。

☆フランク・ロイド・ライトの建築コンセプトは、今でも学ぶに値するというのはそういう意味である。特にライトは日本的な発想も取り入れている。重要なのは庭園発想である。公立学校の建築には、この庭園発想がない。明治政府は、庭園発想のルーツである大名庭園をズタズタにしたから当然。コストも膨大にかかるし・・・。

☆ともかく、白梅学園清修の学校建築には、これらすべてのスペースが巧まれているのである。特に何気ない庭園の存在。教室はすでに正門から庭園に入ったときから始まる。そこは、教師と生徒のコミュニケーションのアルファでありオメガである。一日の生徒一人ひとりの状況がそこで把握される。庭園発想とは、おもてなしである。おもてなしとは、亭主の見識がポイント。亭主の趣味を押し付けるのではなく、客人の心にそったやりとりができるサービスが本位である。顧客満足は、この庭園あるいはそれを圧縮した茶の湯のおもてなしの心のほんの一部にすぎない。

☆庭園や茶の湯は道であり、倫理であり、宗教的センスである。だから公立学校が庭園発想を発動できない理由がここにある。憲法で、教育基本法で規制されているのだから。私立学校の庭園発想は、道であるが、公立学校がもしそれを実行するとなると形式的なマナーで終わらざるを得ない。日本の教育改革のジレンマはここにある。本格的な道を追究するには、学校外のリソースを使う以外にないのである。

☆こうして見ていくと、教育空間もまた形成的アセスメントツールである。白梅学園清修学園の校舎建築の発想自体、すでに形成的なのである。ライトの建築発想は、タオ(道)にあるし、ハイデッガーの建築論にも通じる。建築は屋根や壁をつくることが主なのではなく、住まう虚空間、つまり道の空間をつくることなのだとライトの建築学校タリヤセン・ウェストには刻印されている。この内容は、実は岡倉天心の「茶の本」にも記述されている。なかなか深い話なのだ。ライトはこの思想をフェノロサ経由で学んでいるはずだから、岡倉天心つながりはうなづける・・・。ともあれ、白梅学園清修の校舎には、こういう教養が埋め込まれている。校舎自体リベラルアーツであると言うこともできるだろう。

☆ところが公立学校の建築空間には、そこまでのアイデアは埋め込まれない。だいたい岡倉天心は官学から追いやられているし・・・。要するに、埋め込んだらダメなのである。結局公立学校の建築空間はサマティブ・アセスメント(いわゆる5段階評価を思い出せばよい)ツールなのである。

☆日本の教育すべてに形成的アセスメントを適用しようとすると、憲法と教育基本法を改正しなければならない。校舎も建てかえなければならない。しかし、それにはあまりに時間とコストがかかりすぎる。日本の教育改革が、世界の動きについていけない根本的理由がここにある。解決するには民間の教育機関をきちんと育成する必要がある。サマティブアセスメントで十分な受験勉強を促進する塾・予備校では不十分である。道とリベラルアーツに対する構えのある民間教育機関が必要なのである。そのロールモデルは、白梅学園清修のような私立学校ということにならざるを得ない。

☆公立学校の法制度的な限界を論議しない限り、すべてを教師の責任に転嫁して終わる教育行政の悪癖は是正されまい。公立学校勤務の教師も、サイード的に言うならば、オリエンタリズムに自身を追い込まないことである。

☆あっちこっち飛んで、サブテーマの①について半分も語れなかったことお許しを。今回の形成的アセスメントというテーマは、やはり相当大きな問題が横たわっているようである。

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私学の経済ポジショニング[16]OECD専門家セミナーと白梅学園清修②

私学の経済ポジショニング[15]OECD専門家セミナーと白梅学園清修 のつづき。ジャネット・ルーニー氏は形成的アセスメントについて6つの要素に分けて説明した。

1)相互作用を促進する教室文化の確立とアセスメントツールの使用。

2)学習ゴールの確立とそれらゴールに向けた個々の生徒の学力進歩の追跡。

3)多様な生徒のニーズを満たす様々な指導方法の活用。

4)生徒の理解をアセス(把握・予想)することへの様々なアプローチの使用。

5)生徒の学力達成状況へのフィードバックと確認されたニーズに応じて授業を合わせること。

6)学習プロセスへの生徒の積極的な関与

☆その後、柴田副校長が、白梅学園清修の教育実践の報告をしたが、ルーニー氏の説明した形成的アセスメントの6つの要素がすべて実践されていたのに、多くの参加者が驚いた。

☆グローバルな学びの理論が、白梅学園清修の具体的な実践から逆照射されたのだから、そうなるのも当然だろう。どこまで続けられるかわからないが、しばらくの間、抽象理論と白梅学園清修の実践を重ね合わせてみたい。

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私学の経済ポジショニング[15]OECD専門家セミナーと白梅学園清修

☆昨日(2008年8月29日)、千代田区丸の内にある東北大学東京分室で、「専門家セミナー」が開催(主催 国立教育政策研究所 初等中等教育研究部・共催 東北大学大学院教育学研究科)された。テーマは「キーコンピテンシーと形成的アセスメント」で、OECD/CERI(教育研究革新センター)の評価研究プロジェクトリーダーだった、ジャネット・ルーニー氏が基調講演を行った。

Photo ☆そして、日本の先導的実践事例として、小学校は富山市の堀川小学校の教育実践が報告され、中学の部では、白梅学園清修の教育実践が報告された。

☆生徒一人ひとりの理解度を測り、タイムリーに頻繁に対話をすることで生徒の思考の広がりと深さの促進をサポートし、そして生徒一人ひとりの独自性を発見することで生きるよりどころであるキーコンピテンシーを共に作り上げる形成的なアセスメント行為の必要性について、話し合われた。

☆もちろん従来のテストや試験による総括的なアセスメントとのバランスが重要なのであるが、この形成的アセスメントの考え方が、従来のテストの作り方に変更をせまるシナジー効果をあげるだろうとルーニー氏は指摘していた。テストでも思考の深さを測ることはできる。PISAがその例だろう。

☆また、形成的アセスメントを実行するには、教師間の議論、生徒のポートフォリオやログノートを細かく見ていかなければならず、教師の時間をどう確保するか問題になるが、それはICTの導入によって解決するとも指摘。そしてそのパーフェクトな白梅学園清修の実践事例が柴田副校長によって報告された。

☆本セミナーでは、形成的アセスメントの概念が中心に議論されたが、2校の実践例は、ある意味、その見える化であった。仕掛け人の東北大学の有本教授のセミナープログラムのデザインはなかなかのものだったと思う。ただし、参加者は政策にかかわるメンバー、研究メンバーだけではなく、現場実践メンバーが多かったので、抽象と具体をうまく結び付けられたかどうかは、参加者の見識にゆだねられた。

☆セミナー第二部は、懇親会。そこでお会いした秋田県の公立中高一貫校の校長先生が、またおもしろかった。公立の立ち位置にいながら、理念と実践と迫力は≪私学の系譜≫。ハイデッガーと数学のレトリックで、知識の背景にある存在の根拠を問い返す見識と気迫に圧倒された。従来の学びがいかに要素還元主義なのか、これからは知の関係総体主義の時代であることを、微分積分の数学の概念から導かれていたのにも驚いた。秋田県学力ナンバー1の秘密が少し見えたような気がした。この点については有本教授も高い興味と関心を寄せていたほど。いずれにしても、すごい人がいるものである。

*参考文献 →J.ルーニー編著『形成的アセスメントと学力-人格形成のための対話型学習をめざして』明石書店、2008)

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私学の経済ポジショニング[14] 私学の経営戦略①

☆私学も企業同様、自らの力で経営している。ただ、企業は利潤を生むし、商品の販売量を増やしていくため、売上や利益率の向上を常にチェックしている。一方、言うまでもないが、学校法人が売り上げを上げるとか、利益率をあげるとかというようなことはあまり聞いたことがない。

☆したがって、同じ経営と言っても、見た目はずいぶん違う。見た目だけではなく、本当に差異がある。しかし、差異があるということは、共通点もある。この両者の整理を誰かがしてくれると助かるのだが・・・。というのも、日本経済が世界の経済に影響を与えている以上、世界の人々の幸せの最適化を考えるのは当然で、そのためには日本の企業が活躍しなければならないし、その企業に人材を送るのは教育機関。その機関の中で重要な位置を占めているのは私立中高一貫校という私学である。

☆だがしかし、こういうシンプルなつながりを意識して、企業側は私学を見ないし、私学側も企業を見ない。企業側の立ち位置で、保護者が私学を見れば、公立学校よりは私学の理屈がわかるかもしれないが、企業と私学の差異は見えにくい。じゃあ、私学側に立てばどうだろうということになるが、私学側の立ち位置に立てる保護者がいるのだろうか?保護者自身が私学出身の場合は、立てる可能性があるが、それは公立と私立の卒業生数の数の論理でいけば、あまりに少数派である。

☆公立側の立ち位置から見ても、実は私学の経営はよくわからない。むしろ混乱するかもしれない。ルサンチマンや嫉妬が生まれるかもしれない。どうやら、私学側は、私学経営の正当性・信頼性・妥当性を、自ら証明しなければならない時がきたようだ。

☆自ら証明するのは今までも変わらないし、これからもそうであるから、今というタイミングを重視する理由がわからないといわれるかもしれない。それは20世紀末から21世紀の今にかけて、企業観や事業観が転換する時期であることは周知の事実だと思うが、この転換のロールモデルの一つが私学の経営のあり方である可能性があるからである。

☆私立学校は、20世紀末の私学危機を、企業の経営手法をモデルに乗り越えようとしてきた可能性がある。外部コンサルタントの研修プログラムなどは、企業研修そのままを横流ししたものばかりである。私学と企業の経営には共通点もあるから、役立つ部分も多かった。

☆しかし、研修を受けて、何かが違うと疑問を抱く教員も多い。ここに大きなヒントがある。何かが違うという点こそ、私学と企業の経営の差異だからである。コンサルタントの持ち込む研修プログラムは、ほとんどがアメリカのビジネス研修。アメリカの企業は100年以上続くなんてだれも思っていない。ところが日本の会社で100年以上続いている企業は多いのだ。

☆私学と似ている企業経営の手法は、日本の老舗企業なのかもしれない。少なくとも利益を上げて、すぐに他の企業に売ってしまうアメリカの企業観をベースにする研修プログラムは私学人にとっては違和感が大きいはずである。

☆米国型企業経営観がよいのか、日本型企業経営観がよいのか、私学型経営観がよいのか、最終的には市場の原理で決まるのかもしれないが、この市場でさえ、利益主導市場なのか、倫理的市場なのか差異がある。もし、倫理的市場を選択したいのなら、私学型経営観を見直す必要がある。現状の利益主導市場から倫理的市場へのシフトはいかにして可能なのか。それはマスのレベルを変えることである。知識重視のマスから教養重視のマスへということである。今、私学型経営観を見直す意義はここにある。

☆しばらく三品和広氏の「経営戦略を問いなおす」(ちくま新書2006年)を足がかりに考えていきたい。

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私学の経済ポジショニング[14]私学のクオリティマーケット作りのために

☆最近、教育ジャーナリストや教育関係者と話をしていて、改めて確認することは、私立学校というのは、日本の教育学の研究対象になることは極めてまれだなという点である。

☆それゆえ、私立学校と公立学校の差異が、補助金の違い、生徒募集の方法論の違い、カリキュラムの違い、大学進学実績の違い、OBの活躍の違い、教育理念の独自性有無の違いなどなど、事実の差異としか語られない。つまりあまりにジャーナリスティックなのだ。いや物が売れればよいという「考えない営業」の理屈だ。「難しいことはいいよ、売れりゃいいんだ」というだみ声が聞こえてくる・・・。

☆それゆえ、私立学校のことについて表現するとき、「わかりやすく」語らなければなどという、誰が決めたかわからない呪文を唱える営業マンが多い。もちろん「考える営業マン」も入る。起業マンと呼んだ方がよいだろうが。

☆ともあれ、私立学校の生徒について、あるいは生徒と教師の関係について、心理学の角度から研究されているものは多いが、私立学校全体について、社会学的あるいは哲学的あるいは政治経済的に探究する研究者はあまりに稀である。

☆「わかりやすく」という呪文が、このような探究の壁になっている。「わかりやすく」とは日常言語でということだから、一つひとつの言葉が持つ分厚い構造(連続型文脈及び非連続型文脈)については無視される。だから、顧客満足と生徒・保護者満足は同じことを意味し、その差異がわからなくなる。

☆言葉の豊かさとは、知識の数ではない。まど・みちおさんや谷川俊太郎さん、工藤直子さんのひらがな詩を読んで、言葉の豊かさを感じない人はいないだろう。決して言葉の知識の量ではない。見方を変える言葉、新しい発見をする言葉、感動を生み出す言葉、概念を生み出す言葉であることが豊かだということだろう。

☆私立学校そのものについて、いろいろな分野や領域の言葉で語られるようにならないと実は私立学校の市場は、クオリティマーケットにならない。私立学校の市場と受験市場の差異がわからなくなっているのが現状だ。本来は、私立学校の市場>受験市場だろう。それが逆転しているとしたらどうだろう。

☆塾・予備校、マスコミの「わかりやすく」戦略は、私立学校の言論・思想・表現の自由を制限しているのである。アニメの世界から哲学の世界まで、広く深く私立学校について語られるようにならない限り、私立学校の教育が世界を変えることは難しい。クオリティ・マーケット作りこそ私立学校の未来の使命の一つである。

☆そしてここに到って公立学校との決定的違いが見えてくる。公立学校において、そもそもマーケットは存在しない。マーケットが存在していないところに平和は育たない。平和という言葉を「わかりやすく」教えることは行われている。だが、どこの世界に平和が「わかりやすい」などということがあるのだろうか。

☆「わかりやすく」戦略は、人々が自分の利益と興味のあるもの以外は平気で無視することができるように囲いの中で管理するのが目的である。東浩紀氏の言う「動物化された」(日本の場合は家畜化されたという方が当たっているのか?・・・)人間とは、言いえて妙であるなぁ。

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私学の経済ポジショニング[13] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[02]

私学の経済ポジショニング[12] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[01]のつづき。前回述べたように、テーマは「私立男子中高一貫校は、何を変えるのか?」にした。うまく話せたかどうかはわからないが、結論としては東浩紀氏の警鐘を鳴らしている「動物化したポストモダン」な人間を生み出している≪官学の系譜≫に対し、≪私学の系譜≫に立ち戻り、官僚近代化路線を、明治のときにすでに私学人が理想としていたもう一つの近代化路線社会に軌道修正をするような教育の実践こそ、男子校の使命ではないかと語ったつもりである。

☆会終了後、日本学園中学校の谷口先生から「私学人の理想あるいは生徒が拠って立つ背景や基準は、具体的には何か思い描いていますか」と問いかけられた。「それは各学校によってそれぞれ建学の精神があって、一つではないので、あえてそこは触れなかったんです」と答えたが、日本学園こそ横山大観、永井荷風、岩波茂雄といった官僚近代化路線とは違う、大きな知性を創造したOBがいる。

☆むしろそれについてお聞きするべきだったと、相変わらず浅薄で狭隘な自分に落ち込まざるを得ない。スピーチをするといつも枕が長くなって、用意していたレジュメの項目について話しきれない。今回も§1まで。本ブログで補足してみたいが、いつものごとく中途半端になるかもしれない。ご容赦を。まずはレジュメの項目を掲載。

§0)時代認識断片

○私学の危機(98年・99年首都圏受験率13%下回る)→08年20%超える
○技術者に求められるものの変化 byものづくり白書(08)経済産業省
○自動車保有率79,236,095台(06年)から79,080,762台(07年)by国土交通省
○女性の社会進出遅速・男性の圧力依然強い by「19年度男女共同参画白書」内閣府
○職場のいじめに関する相談前年対比で約6000件(27%)増(07)by厚生労働省
○08年大学入試の国公立大学前期日程工学部志願状況昨対比3.8%増(河合塾調べ)
○「課題先進国」日本~キャッチアップからフロントランナーへ 小宮山宏(中央公論新社08)
○「動物化するポストモダン~オタクから見た日本社会」 東浩紀(講談社現代新書01)
○「不可能性の時代」大澤真幸(岩波新書08)
○塾・予備校、教育事業企業の再編&統合の動き

§1)男子校の生徒の問題性

[問題提起]男子校の生徒の実態とは真逆の現代社会
「来るべき社会では、各人がばらばらの考えをもち、自分のまわりの局所的な利害にしか関心を向けていなくても、情報の集積がネットワークを介して全体の秩序を生み出していく。そこには抑圧も強制もない。人々は、高度な情報環境の支援を受けてたがいに緊密に協力している。あるいはさせられているが、そのことには気がついていない。それは確かにユートピアのように響く。しかし、筆者は、その状態こそが、巧みな「管理された環境」だと考える。そこで賞揚されている創発的な秩序の原理は、民主主義の蓄積よりも、むしろ統計学やゲーム理論にもとづいている。」(東浩紀「中央公論」2003年10月号)

○女子校の生徒の問題性との差異
○新しいリーダーの領域 クリエイティブ・クラス(3T)

§2) 問題性の解決のために

○ 男子校は≪私学の系譜≫に立ち戻る→改革型リーダーを輩出(女子校とは違う)
○ クオリティ・コミュニケーション(QC)に基づく授業
○ QCに基づく授業→入試問題の変化→中学受験マーケットの質の担保

§3) 社会の変化のための「教育と経営の関係」そして人間像

○教育の倫理と論理→新しい精神の原型
○経営の倫理と論理→新しい市場の原型
○5つのM ハワード・ガードナーの「5つのマインド」による
  ≪熟練・統合・創造・尊重・倫理≫
→男子校の生徒は、世界の子どもたちのロールモデル。

○広報の倫理と論理→新しい表現の原型

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私学の経済ポジショニング[12] 東京私立男子中学校フェア研修会に参加して[01]

☆2008年6月7日、新宿で23校の男子校が集結して「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」を開催したが、その振り返りと来年の活動についてミーティングが先日あった。その中で私もスピーチするチャンスをいただいた。

☆このコミュニティを支えてきた人物は、攻玉社の教頭を経て本郷中の校長として活躍された高橋先生。2005年5月12日、大井町きゅりあん(品川区民会館)で、東京の私立中高一貫校15校が協働開催した私立中学合同説明会「夢限大」で、高橋校長は講演をされていた。そのときの様子を私もこう書いている。(参照→21世紀に広げよう、私立中高一貫教育「夢限大」

高橋校長先生は、社会性と社会力の差異に注目した。社会性は、社会に順応することである。社会に順応するというのは、実は個人主義的な側面でもあるだろう。一方社会力とは、社会を変える力だという。社会性は、その社会システムの信頼性や正当性に対する批判をすることなく順応することも可能だが、今のように社会システムが明らかに正当性や妥当性を有していない事態に対し、どのように社会を変えていくかその力をつけることこそが私学教育の肝だと主張されたと私は理解した。・・・ しかし、それはある意味孤高であろう。社会を変えるタフな人材作りを本気に考える現場の先生はどのくらいいるのだろうか。もしかしたらそういう危機意識を(高橋校長は)吐露されたのかもしれない。いずれにしてもこればかりは、強いリーダーシップが必要である。高橋校長先生のおっしゃる私学の心の教育は、他者の気持や状況を思いやるイメージネーションを豊かにすると同時に、社会を変える発想と論理を備えたタフで機敏な頭脳を鍛えるということでもあろう。

☆それゆえ、今回のスピーチのタイトルは、高橋校長に敬意を表して「私立男子中高一貫校は、何を変えるのか?」とさせていただいた。しかし、だいぶ背伸びしたテーマで、かえって高橋校長にはご迷惑だったかもしれない。

☆しかし、私にとっては、たいへん大きな収穫があった。かつて、高橋校長が社会を変える人材を輩出したいとビジョンを語ったことに対して、私は「しかし、それはある意味孤高であろう。社会を変えるタフな人材作りを本気に考える現場の先生はどのくらいいるのだろうか。もしかしたらそういう危機意識を(高橋校長は)吐露されたのかもしれない。」と書いたが、これはある意味あたっていたという確信を持てたことがそれである。

☆「ある意味」というのは、高橋校長は私立学校全体の問題として危機意識を持っていたし、私立学校の教師がすべて社会を変えるビジョンを持っているわけでもないという考え方もしていたということを意味する。

☆つまり、集結していた男子校の先生方の共通のビジョンは、社会を変えるという強烈な意志をもって、未来を創ることができるのは男子校の使命であるということなのだ。男子校にしか創れない未来、女子校にしか作れない未来、共学校にしか作れない未来があるという認識をしっかりもっているコミュニティが、「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」を開催していたのだと確信した。

☆そして、男子校と女子校がそれぞれ創る未来は相互補完関係にあり、共学校もそうであるはずだが、そのことに気づいている共学校があまりに少ないということにも気づいた。おそらくこれが高橋校長の警鐘なのではなかったか。

☆しかしながら、当時の「夢限大」は、男子校も女子校も共学校も協力し合っていたので、そこを直接言うことは、受験生の保護者に動揺を与えてかねなかったので、レトリックに徹して語られたのだと思う。

☆したがって、今回のような男子校のみのコミュニティにおいてこそ、そのビジョンが明快に語られるのだと感じいった。しかし、この男子校にしか創れない未来、女子校にしか創れない未来、共学校にしか創れない未来は何なのか、私立学校自身が明快にしなければ、学校選択者はリスクを抱えることになる。こんなはずではなかったということになりかねないからである。この男子校のコミュニティは、そこをも明快に表現する先駆け的なポジショニングを占めているわけで、そこがとりわけ興味深い。

☆ただし、開成、麻布などがこのような男子校のビジョンづくりをしているコミュニティに協力参加していないというのはなんとも寂しい。≪私学の系譜≫をアピールする上でも、広く男子校のコラボレーションは重要である。東大を頂点とする知の鉄鎖をぶち切る知の自由が社会を変える。それは≪私学の系譜≫の大きな柱の一つであるはずではないか。

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私学の経済ポジショニング[11]私学経営研修会に参加して<05>

☆「私学の経済ポジショニング[10]私学経営研修会に参加して<04>」のつづき。§3 ≪8つのI×5つのM×3つのT≫では、以下の項目について少し触れた。ハワード・ガードナー教授とリチャード・フロリダ教授の理論がなぜポイントなのかについて確認してみたい。

●8つのI ハワード・ガードナーの「マルチ・インテリジェンス(MI)」による
言語能力・論理的数学的能力・空間能力・身体運動能力・美学的能力・人間関係形成能力・自己省察能力・自然との共生能力

●5つのM ハワード・ガードナーの「5つのマインド」による

  熟練・統合・創造・尊重・倫理

●3つのT リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」による

  才能(Talent)・技術(Technology)・寛容(Tolerance)

☆まず、ハワード・ガードナー教授であるが、教授のMI理論はアメリカでも日本でも公立の学校や塾で活用されている。しかし、その活用の仕方は、特に日本においては、もしかしたら、魂のない方法論だけが独り歩きしている可能性がある。

☆しかし、教授は、実はMIも5つのマインド(以下5M)も方法論を明確には表明していない。あくまでビジョンあるいはコンセプトなのである。しかも教授の中で、MIと5Mはつながっているのである。ところがMIの方法論だけが独り歩きしているというのが現状なのである。しかもMIと5Mは分断されたまま・・・。

☆しかし、これは公立学校の制度的限界である。学びの理論にビジョンやコンセプトやまして理念は結び付けられないのだ。しかも、これはどんなに高邁な教師がいても絶対に結び付けられないように禁則処理されているのである。これが似非PISA型全国学力テストで露呈した。このことはまた後で語ることにするが、ともあれ私立学校は、これらの制限がかけられていない。そこがすごい。この制度設計をだれがしたのか。戦後の教育基本法をデザインした先人がたである。

☆ここに≪私学の系譜≫の重要性がでてくるし、MIと5Mをビジョンとして結び付けられる見識を私学は持っていることになる。≪私学の系譜≫の見識はハワード・ガードナー教授の属するハーバード大学に通じると考えてもよいのである。

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不安を生みだす抑圧系[12]ロールモデルがいない?

<なりたい大人「周りにいない」=中高生の5割が回答-青少年機構(6月29日16時30分配信 時事通信)>によると、

08 なりたい大人が周囲にいないと考えている中高生は約5割に上ることが、独立行政法人国立青少年教育振興機構が公表した2006年度調査で分かった。

☆この事態は何を意味するのだろうか。しっかりした大人がいないということだろうか。大人を自分の目標にすることがかっこ悪いということだろうか。キャラ立ちはよいけど、本当の自分を見つめるというのはダサイということだろうか。

☆大きな物語が消失したとか、理想の時代は終わったとか、もはや本質というものはなくなったとか・・・。そういう押し付けがましいものはいらない。自分の中から欲しいもの知りたいもの読みたいもの買いたいものが生まれてくれば、それに従えばよいのだ。

☆市場で売れるものは生産者・供給者側ではなく、消費者・需要側から要求するのだ。それがICTだとは経産省の戦略だったか。ポスト消費社会?????

☆読解リテラシーの国際ランキングが下がっているのは、もしかして読解は読者の自由な解釈で良いのだというポスト消費社会の影響か?

☆解釈を押し付けられるのが客観的なのか、読者が自由に読むのが主観的なのか・・・。この二元論では何も解決しない。さて、ここを間主観だとかで逃げ切ることもいまではできない。

☆両者の議論しか、もはや突破口がない。なりたい大人が周囲にいないのは、実は直接話し合う機会がなくなっているということだろう。互いに話せば、互いに影響を受ける。議論を促さない見えない抑圧。これが日本社会の現状の人間関係なのだろう。

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私学の経済ポジショニング[10]私学経営研修会に参加して<04>

☆「私学の経済ポジショニング[09]私学経営研修会に参加して<03>」のつづき。≪私学の系譜≫の第三世代で戦後教育基本法の成立にかかわった人々を、もう少し詳しく見ると、河井道、安倍能成、前田多門、天野貞祐、森戸辰男、南原繁、田中耕太郎、矢内原忠雄となる。みな内村鑑三及び新渡戸稲造の弟子たちである。

☆前田多門は草創期の東京通信工業に出資し、初代社長を務めているが、この東京通信工業こそ後のソニーである。そして、ソニー第2代社長井深大の義父が前田多門。精神科医の神谷美恵子は長女。美恵子も父同様、新渡戸稲造の影響を受けている。

☆ニーチェやベルジャーエフの著作を翻訳するなど高名な氷上英廣の義父は南原繁。そして南原繁の孫が今の麻布の氷上校長だ。≪私学の系譜≫は脈々と続いているではないか。

☆第四世代以降≪私学の系譜≫を受け継ぐ人材は、大塚久雄、丸山真男、氷上英廣(ちなみに、大塚、丸山、氷上は南原繁の弟子)、廣松渉、川勝平太、浅田彰、大澤真幸、宮台真司、内藤朝雄、東浩紀、北田暁大・・・。必ずしも私立学校出身ではないが、彼らの立ち位置は、大量生産、大量消費、大量移動の官僚近代化路線とは違う。

☆彼らは加藤弘之のダーヴィニズム的発想の社会観や人間像をよしとしない。むしろ加藤が捨てた啓蒙思想を方法論的にあるいは論理的仮説として再構築して、社会観や人間像を組み立てている。

☆そして、こうして≪私学の系譜≫が脈々と続いている一方で、明治維新以降の官僚近代化路線もまたいまだに続いている。日本の社会の構造も、やっと変わろうとしているにもかかわらずである。

☆社会の構造を、こんなにも単純化することは危険ではあるが、公立学校と私立学校の存在の地平は、かくも明確な歴史性があるということは念のため確認しておきたかった。この歴史性こそ≪私学の系譜≫としての私学の存在理由なのではないだろうか。

☆こうして見ていった時、中学受験のマーケットは、この私学の存在理由をサポートするのか、≪私学の系譜≫に圧力をかけ、官僚近代化路線に与するように強制的働きかけをするのか。中学受験マーケットに対する影響力を無視できない塾の存在理由が問われなければならない。塾が群雄割拠のうちは、学校選択はある意味計算できない保護者の選択判断によることができたわけだが、塾の再編及び統合が急な今日、偏差値による学校選択の計算が限りなく可能になる傾向が見え隠れする。

☆いずれにしても官僚近代化路線と≪私学の系譜≫路線の問題は、日本固有の問題ではなく、グローバリゼーションそのものが内包している矛盾そのものだろうから、中学受験のマーケットにグローバリゼーションをいかに結びつけるかがポイントになるだろう。

☆両者のうちのどちらかが選択されるという偏向主義的な教育環境にしないためにというあくまでも消極的解決策に過ぎないのだが・・・。現状ではそれしか策がない。

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私学の経済ポジショニング[09]私学経営研修会に参加して<03>

☆「私学の経済ポジショニング[08]私学経営研修会に参加して<02>」のつづき。レジュメの§2≪私学の系譜≫を考えるについて、

●「近代化の矛盾=問題=圧力→学歴・経済・知・人間性の格差」をどのようにとらえるかの系譜

☆この項目では、私学の歴史性の問題の確認をしたかった。物理的時間で過去の歴史に遡ってみると同時に、現代でも同根の問題性を私学は持っているという確認。これによって、単純に歴史年代的に古い学校が伝統があるとか、新しい学校は私学の系譜に属さないとかいうことではないことを確認したかった。

☆歴史年代的に古くても、単に設置者の関係で私立学校にすぎず、≪私学の系譜≫ではない場合もあるし、仮に公立学校出身者でも、≪私学の系譜≫と同根の問題性を有している人物は、≪私学の系譜≫の仲間である。

☆さて、その同根の問題性とは何か。それが、近代の矛盾を大量生産・大量消費・大量移動で逃走するのではなく、つまり学歴・経済・知・人間性のあらゆる格差は近代が産出する運命的な問題で、解決不可能であると居直るのではなく、寛容にも真摯に受けとめ、痛みを分かち合い、なんとか解決しようとアイデアを出すための議論をし続ける関係性を重視する立場である。

☆それゆえ明治政府の官僚近代化路線は、私学人福沢諭吉、江原素六、新島襄には受け入れがたかったし、江原素六などは、相当官僚から圧力をかけられ続けた。この官僚近代化路線が富国強兵・殖産興業の路線に進化していくのであるが、この立場に疑問を投げかけたのがこの第一世代の私学人であり、ここに≪私学の系譜≫のルーツがある。

☆その後、東大の初総理加藤弘之のダーヴィニズム路線、つまり加藤は啓蒙思想を捨て、社会進化論者になり、官僚近代化路線の正当化理論を推し進めるのであるが、それに第二世代の内村鑑三、新渡戸稲造、石川角次郎は反発した。

☆彼らの思想は第3世代に継承される。南原繁、矢内原忠雄、河井みち、務台理作・・・。戦後の教育基本法成立にかかわったメンバーである。河井みちは恵泉を、務台理作は桐朋の基盤を築いた私学人でもある。

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私学の経済ポジショニング[08]私学経営研修会に参加して<02>

☆「私学の経済ポジショニング[03]端緒を探る③私学経営研修会に参加して 」のつづき。今回の研修会では、パネリストだったの、事前に準備したレジュメに沿って話したわけではない。触れなかった項目について、パネルディスカッション終了後に何人かの先生からご質問をもらった。今回のレジュメの項目は、今年考えていきたいテーマも入っているので、本ブログで考えていきたい(必ずしも項目番号順ではないが)。

☆レジュメの項目は次の通り。

「私学の未来―変革期に対応する私学教育(私学力)―」

§1 私学力を構成する要素

①≪私学の系譜≫→明治以降の日本の近代(モダニズム)の矛盾をどう受けとめるか
②≪8つのI×5つのM×3つのT≫→知の塊(全人教育)・世界標準を超える知
③クオリティ・コミュニケーション→知の塊を形成する教師と生徒のことば力
④クオリティ・リーダーシップ→直面する多様な壁に対応できる柔軟なリーダーシップ
⑤ステークホルダーへの共感→学校選択指標におけるポジショニング

§2 ≪私学の系譜≫を考える

●「近代化の矛盾=問題=圧力→学歴・経済・知・人間性の格差」をどのようにとらえるかの系譜

参照)→別表 資料「私学の系譜を考える補助線として」

§3 ≪8つのI×5つのM×3つのT≫

●8つのI ハワード・ガードナーの「マルチ・インテリジェンス(MI)」による
言語能力・論理的数学的能力・空間能力・身体運動能力・美学的能力・人間関係形成能力・自己省察能力・自然との共生能力

●5つのM ハワード・ガードナーの「5つのマインド」による

  熟練・統合・創造・尊重・倫理

●3つのT リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」による

  才能(Talent)・技術(Technology)・寛容(Tolerance)
●≪8つのI≫ ≪5つのM≫ ≪3つのT≫のつながりを阻止するもの

[1] 学習指導要領はOECD/PISAの世界標準のモノサシで測ると「レベル3」。
それは、全国学力テストにより明らか。

レベル1)・・・ 情報の確認
レベル2)・・・ 情報の整理
レベル3)・・・ 情報の分類・照合
レベル4)・・・ 論理思考
レベル5)・・・ 批判的思考
レベル6)・・・ 創造的思考

①学習指導要領→レベル3まで

②PISA読解リテラシー→レベル5まで

③中学入試の国語→レベル6まで

[2] 「保守的・偏向的・リスク隠蔽的・無気力的」雰囲気を形成する組織。

●≪8つのI≫ ≪5つのM≫ ≪3つのT≫をつなぐもの

世界標準のレベル5を超えレベル6までのすべてのレベルを自在に活用できる
クオリティ・コミュニケーションとクオリティ・リーダーシップ

§4 クオリティ・コミュニケーション

●「4つのコミュニケーション行為の型」の諸関係がクオリティを生み出す。

CC・・・創造型コミュニケーション行為
IC・・・双方向型コミュニケーション行為
TC・・・寛容型コミュニケーション行為
OC・・・抑圧型コミュニケーション行為

●クオリティ・コミュニケーションの関係図例

Cito

§5 クオリティ・リーダーシップ

●「7つのリーダーシップ」の諸関係がクオリティを生み出す。
ハーバード・ビジネス・レビュー版(2005年9月号)のルークとトーバートによる
7つのリーダー・タイプの応用。

(1)他者利用型( 5%)・・・どんな手を使ってでも勝とうとする。自己中心的で、人を操りたがる。「力こそ正義」。緊急事態や営業に役に立つ。
(2)利害調整型(12%)・・・不可避の衝突を避けようとする。集団の規範に従う。現状打破には消極的。オフィス内の「接着剤」として機能し、集団の一体感を高める。
(3)専門家型(38%) ・・・論理性と専門知識を第一義に置く。理性的に効率を求める。個人としての貢献度は高い。
(4)目標達成型(30%)・・・戦略目標を実現する。複数のチームをまとめて目標を達成させる。マネージャーとしての責任と市場からの要求をバランスさせる。行動志向であり、また目標志向である。管理職に向いている。
(5)個人尊重型(10%)・・・人間と組織のさまざまな行動論理を統合させることができる。戦略計画と実績の差を埋めるために独自の仕組みを考え出す。起業やコンサルティングに向いている。
(6)戦略家型(4%) ・・・組織や個人の変革を生み出せる。短期的にも長期的にも、仲間との間で互いに問いかけや警告。弱点について指摘しあう。変革リーダーに適任。
(7)改革者型(1%) ・・・社会の変革を生み出せる。物質的な変革、精神的な変革、社会的な変革を総合的に進める。世の中の改革を指導できる。

§6 学校選択指標におけるポジショニング

Photo

●「12歳のための12の学校選択指標」

(1) 自己実現プログラムの自覚的実行力

(2) 教師の創造的コミュニケーション能力

(3) 時代の変化への対応力

(4) 本格的論文編集指導力

(5) プログレッシブな授業構築力

(6) 総合学習と他の教育活動の有機的結合力

(7) 現地校で耐えられる英語教育力

(8) あらゆる教育活動でのIT活用力

(9) 他教科に刺激を与える芸術教育力

(10) キャリア・デザインとしての進路指導力

(11) 生徒の潜在能力を引き出す教育空間デザイン力

(12) 説明会の表現力(教育理念の具体的展開のプレゼン)

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私学の経済ポジショニング[07]端緒を探る⑧都内の男子校の活動[05]

☆「私学の経済ポジショニング[06]端緒を探る⑦都内の男子校の活動[04] 」のつづき。ガイドブックで生徒が自分の学校について語っている文章を語彙分析してみた。それをグラフ化したものを掲載する。あくまでこれは極端にイメージ化した図にすぎず、数値化したものではない。

Photo ☆文章を読みながら、語彙や表現を4つの項目に振り分けて作成した。4つの項目とは

CC)Creative Communication(創造的コミュニケーション)

IC)Interactive Communication(双方向的コミュニケーション)

TC)Torelance Communication(寛容的コミュニケーション)

OC)Oppresive Communication(抑圧的コミュニケーション)

☆コミュニケーションの質はこの4つの項目の総体で決まる。どれか一つの項目だけのコミュニケーションスタイルしかとらない人もいるが、それは対話をしていると不自然な感じや不愉快な気持ちをその場に生みだす。非日常的な危険な状況が迫っているときは、逆にたとえばOCだけが起動するというほうが自然である。

☆コミュニケーションの4つのスタイルをその場の情況に応じて変幻自在に変えられる人がコミュニケーションの達人なのである。

☆このガイドブックという場で、自分の学校について何か伝えようとする場合、読み手を意識する必要がある。読み手が何を感じるか。読み手が何を期待しているか。読み手は何に気づいていないかなど想定するに違いない。そして、わずかな字数にまとめるのだから、何を書かないかということも。

☆最も多いコミュニケーションのスタイルは冒険型である。規制やルールや恐怖に打ち勝つ勇気と友愛と創造のコミュニケーションスタイル。次に多かったのは、完璧なスタイル。改革者型である。すべての項目をバランスよく使いきっているのである。

☆どの型が成功しているかというと、すべてうまく表現されている。ここで注目すべきは、支配型や趣味型がないということである。これは読み手に共感を生むことがない。だから、このスタイルで文章を書く、つまりコミュニケーションをとると広く感銘を与えることは難しい。

☆そしてネガティブな意味での「オタク」は趣味型に相当するだろう。しかし、アキバ系の文化創出的ポジティブな「オタク」(それを「オタク」と表するべきかどうかは議論の余地はあるが、両者の違いを省みず、両方ともネガティブにとらえる昨今のマスコミの論調があるがゆえ、あえて・・・)はCCもOCも高い。ただこれは葛藤型で極めてストイックであるから、ほかの項目も高いほうがハッピーではあるだろう。

☆順応型や安定型も若干あるが、世の母親は、ある意味このスタイルが一番安心するかもしれない。いわゆる良い子タイプであるから。

☆さて、多くの生徒の中からたった1人の生徒のコミュニケーションスタイルで何がわかるのかといわれるであろうが、ガイドブックに掲載するにあたり、その学校の生徒像に近いあるいはこういう生徒のような言動をとって欲しいというロールモデルであるという仮説は立てられるかもしれない。誰でもよいから掲載するという選択判断はしていないはずだから、仮説という程度でなら成り立つであろう。

☆ともあれ、それぞれの学校の特徴が端的に表れているページであり、おもしろかった。

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私学の経済ポジショニング[06]端緒を探る⑦都内の男子校の活動[04]

☆「私学の経済ポジショニング[05]端緒を探る⑥都内の男子校の活動[03] 」のつづき。新宿で行われた「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」で配布された「ガイドブック」には、各学校の生徒が、自分の学校の雰囲気について語っているページがある。

08 ☆このページで語っている生徒は、それぞれの学校のロールモデルと仮にすれば、たいへんおもしろい分析結果になる。この結果について語るまえに、「2008年版ものづくり白書(経産省編)」に興味深い調査データがあるので、見てみたい。

☆テクノロージーの才能としてどのような知が求められるのかというと、複数の技術に対する幅広い知識や、ユーザーのニーズをつかむコミュニケーション能力、創造性などなのだというのだ。

☆男子校は理数系進路を選択する生徒が多いが、どうやら専門技術だけに興味をもつ教育観では、今後はやっていけない。

☆はたして男子校はどのような教育観をもっているのだろうか。今回の「ガイドブック」の分析からおもしろい仮説があらわれる。1つの専門技術に特化するような、世の中から「オタク」といわれるようなキャラは、実はでてこないのである。

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私学の経済ポジショニング[05]端緒を探る⑥都内の男子校の活動[03]

☆秋葉原の凄惨な事件が起こった中で、二度とこのようなことが起こらないようにしなければならないと誰もが祈ったことだろう。それにしても、テレビや新聞で報道される要素は、ステレオタイプのものばかりだ。

1)中学までは優秀・スポーツ万能だった2)高校では目立たない大人しい性格だった3)卒業論文には、ゲームやマンガが好きだったことが表現されている。4)キレると尋常じゃなかった。5)プライドが高かった。6)理解者がいなかった。7)孤独だった。8)携帯の掲示板を使っていた。9)挫折感をもっていた。

☆たしかに、かつて同じような事件が起こった時も、同じような要素が取り扱われているから、共通点なのだろうが、少なからず一般市民もこれらの要素を持ち得ていないかというと、否定しきれる人は少ないのではないだろうか。

☆これらは人間がみな持っている要素なのである。ただその要素をどのように昇華させるかという自己成長の格闘を行っているのが一般市民なのである。しかし、このような自己成長の格闘は、自分一人ではできない。互いに助け合う関係がそこになければならない。

☆優秀といったとき、学業の話がクローズアップされるが、それは偏っていておかしいと哄笑し合える関係が必要だ。その相手は家族でも友人でも先生でもカウンセラーでも先輩でも後輩でもよいのだ。くそまじめ一辺倒な勤勉しかなければ辛い。

☆男子校は楽しくて明るい。これが大事なことは、それが偏向的な閉塞感を吹き飛ばしてくれるからだ。「きっちり型」の生き方のこわさは、安心・安全がもろいということを認識できないことだ。安心・安全をまず求めることが優先される。あらゆるものはフラジャイルなのである。まして人間関係や自分の存在などというものはそうだろう。

☆一方「のびのび」型の生き方の危うさは、やはり安心・安全がもろいということを認識せずに、自ら気づかないうちに壊してしまうことだ。それがどんなに大切なものだったのか、後の祭りなのだ。大切なものは居心地が良かろうが悪かろうが関係なのである。互いに大切なものをケアしようという関係性をどうともに作っていくかである。ここでポイントは、大切なもの無き・亡き関係性は関係性かという問いかけである。

☆これを問いかけ合うことができない関係は疑似関係ではないだろうか?関係性の意味を議論することは重要なのだ。ただでさえもろいのに、関係性を問う関係性がなかったら、それはすぐにも壊れてしまうだろう。そのような情況は、孤独とは言わないのだ。絶望という。孤独は関係性の中で現われる。私はすべての関係をとりはらっていったら私ではない。私はかかわる人とものと社会と・・・関係総体そのもの。

☆優勝劣敗システムの中の商品化と物神化の極限は、この関係総体を切り刻んでいく。私は私ではなくなる。極めて恐ろしいことだ。私は私でありたいと願うのに、私ではなくなっていく。私らしさを求めて行動するとそれは私ではなくなる。このダブル・バインド、ジレンマのコミュニケーションを阻止するにはクオリティ・コミュニケーションの関係性を互いにつくることが重要である。

☆私立男子校を選択したからと言って、すべての生徒がクオリティ・コミュニケーションを身につけられるかどうかはわからない。しかし、このことを教科学習以外のプログラム環境でも実行しているのは確かだ。

☆「東京私立男子中学校フェア ガイドブック」の「建学の精神または教育の理念とその実践方法」及び「特色ある行事」のページでそれは表現されている。もちろん、ガイドブックを読む時、それぞれのプログラムの有効性をチェックする必要はある。おそらく何をやるという表現に、いかに実行するのかそのプロセスも見える表現をしている場合は、そのプログラムは実際に有効である確率は高いだろう。プロセスが盛り込まれるとは、伝統だからやっているのではなく、常に1人ひとりの生徒の情況に応じてプログラムを改善している意識・自覚があるということの証でもある。

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私学の経済ポジショニング[04]端緒を探る⑤都内の男子校の活動[02]

☆先日(2008年6月7日)、新宿で行われた「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」では、このフェアに参加した23校の生徒とその保護者10,000人を対象にした意識調査が公表された。

☆「君は、在校生として男子校にそれぞれどのようなイメージを持っていますか?」という質問には、

「明るい」83.8%

「楽しい」82.0%

「先生や先輩が優しい」56.7%

「自由な雰囲気」49.1%

「勉強が楽しい」41.3%

☆芝の助川校長は、いつも楽しくなければ学校ではないと語っているが、なるほどその通りの結果になっている。男子校は明るく楽しいのである。ジャニーズ系の「イケメン・パラダイス」や「ごくせん」のようなドラマのノリなのであろうか。

☆保護者は、男子校の教育で身につけさせるべき資質・能力に関しては、

「自主性・積極性」94.9%

「責任感・使命感」94.9%

「決断力・実行力」93.1%

「統率力」93.1%

「協調性」90.5%

「忍耐力」90.1%

「やさしさ・思いやり」87.2%

「礼儀・作法」86.9%

☆となっているので、意外と学園ドラマのテーマには即している。しかし、決定的に違うのは、保護者の選択理由の一番は何といっても「学習指導」(64.5%)だし、次は「大学進学」(56.2%)であり、愛と友情だけではなく、勉強もきっちりということ。

☆当り前のような感覚だと思うかもしれないが、実は本田由紀さんら社会学者が調べると、世の保護者の教育方針は、「きっちり型」か「のびのび型」のだいたいどちらかに分かれるのであり、その両方を統合するという「わくわく型」は貴重な考え方なのである。そもそも私立中学に通っているのは、同学年人口の7%である。首都圏に限ると3%。「わくわく型」は希少価値なのである。

☆助川校長の語る「楽しくなければ」というのは、言いかえれば「リベラルアーツ的な雰囲気がなければ」という意味なのである。学びと遊びの統合は、多くの家庭では失敗する。

☆勉強しなさいと母親は言う。子どもは一生懸命勉強する。すると、母親はそんなに勉強ばかりしていないで、外で遊びなさいと言う。すると、子どもは一生懸命遊ぶのだ。すると、そんなに遊んでばかりいてはダメ!と叱られる。母子ともにダブルバインドのコミュニケーションから抜けられない。抜けられないといろいろな事件が起こる。

☆互いに愛し合っているのに、ダブルバインドのコミュニケーションで苦しんでしまう。この情況を抜け出るクオリティ・コミュニケーションの環境が、私立の男子校にはある。意識調査からそんなことまで見え隠れする。

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私学の経済ポジショニング[04]端緒を探る④都内の男子校の活動[01]

☆先日(2008年6月7日)、新宿で「東京私立男子中学校フェア2008in新宿」が開催された。23校合同説明会だが、単純に各学校が1つの場所に集結してブースを開いて説明するというイベントではない。23校の男子校に通う生徒及び保護者にアンケートをとり、そのデータに基づいて、男子校の存在意義を語りかけるというコミュニケーションが演出されていた。

☆要するにマーケティングの手法であり、男子校の存在のポジショニング戦略を遂行しているというわけである。このポジショニング戦略活動は、日本のいや世界の教育に影響を与えるトリガーである。

☆というのも、今年首都圏の私立中学受験の受験率は20%を超えた。東京ではすでに2001年ぐらいから20%を超えていたので、この東京の影響は絶大だったはずである。とにかく、20%を超えたということは、大変古典的な理屈だが、パレート最適の法則、つまり20%:80%の論理が成り立つ。私立学校の教育の発言力が強くなり、社会に影響を与えるということを意味する。

☆この私学教育の中でシングルスクールの存在意義は極めて重要である。したがって、私立学校の教育の発言力を男子校が一丸となって強めていく活動をするのは必然的な流れであり、私学全体の発言力が強くなっている情況とシナジー効果を生みだすはずである。

☆シングルスクール、特に男子校は世界に類のない新しい人間が生まれる歴史的条件を背負ったあるいは内包した男子生徒が集まってきている。公立学校における生徒たちのアイデンティティというかキャラクターは、官僚近代国家が作り上げてきたものである。大量生産・大量消費・大量移動を果たすための化石燃料奪取と労働集約政治経済システムを持続可能にする人材の育成がそれである。

☆しかしながら、そのような国家がアイデンティティや価値観を作り上げるという大きな物語は終わり、生徒一人ひとりの価値観やキャラクターはバラバラだし相対的になっているという理解が一般的である。相対的であれ価値観やキャラクターができていれば問題はないが、ここの部分が虚無化しているケースが生まれている。キャラというロールプレイ用語が青少年の中に蔓延し、キャラクター無しのキャラを追い求める青少年が増えると社会はどうなるのであろう。まさに劇場社会であり、リアルとフィクションの区別がつかなくなる。

☆文科省の動きはそれゆえ、道徳規制を強化し、有害情報などの規制に走る。心理学の学者は超自我の育成を果たし、無意識の抑圧の提唱を強める。これによって起こることは、高ストレス社会による差別・格差の生産である。そしてこれに耐えられない場合、様々な犯罪という形に抑圧のエネルギーは転移する。

☆このような情況を教育によって解決する方法論を有しているのは、世界中でも東京の私立男子校のみなのである。欧米はこのような情況が根本のところで起こっていないのであるから、この点においてはモデルケースがない。日本の教育学者は、この情況をネガティブな側面でしかとらえられないから、当然解決する方法は、先に言ったように抑圧でしか突破しようとしない学者ばかりだ。

☆この日本の教育情況に近い国は、おそらく中国である。共産主義というアイデンティティが崩れたとき、アイデンティティやキャラクターは虚無化する。そのとき倫理だとか価値観に基づかないロールプレイを13億人がいっせいに演じはじめる。これは想像を絶するカオスが生まれる。

☆それゆえ水面下でそのリスクヘッジを考えている中国の要人がいるらしい。日本はキリスト教国ではないのに成功した唯一の先進国である。それは彼らにとってたいへん不思議なのだ。そういうわけで、それを果たした渋沢栄一翁の研究が注目されているようだ。翁は経済道徳合一説を唱えているし、「論語と算盤」という著書を書いている。

☆それなら孔子の国である中国は安泰であると思いたいところであるが、現代の中国において論語はどれだけ読まれているのかというと、実に乏しいそうだ。

☆東京の男子校に注がれる≪私学の系譜≫は、実はこの「論語」に相当する教育理念がある。女子校にもあるが、それは直接効力を発揮しなければならないほどの情況になっていないので、この話は学内ではピンとこない。共学校は、この情況が男子生徒によってもたらされているが、女子生徒の成長ぶりに圧倒されているために、目だたない。共学校の問題は、まさにここにある。うまく仕掛けをつくっている共学校は少ない。よって、男子生徒は公立学校と変わらない学校生活を送ってしまいかねないのだ。女子生徒にとっては問題はないのだが・・・。

☆この現代的な情況において、男子生徒に教育理念が注がれない公立学校では、男子生徒の教育が無化してしまう。私立の男子校においては、この情況を回避できる可能性がある。そればかりか、この新しい情況の男子生徒を新たな人間像として育成できるチャンスがあるのである。

☆価値相対化とキャラとキャラクターの乖離の情況において、ただ教育理念を掲げても、それは公立学校で超自我を形成しようという動きとなんら変わらない。生徒たちも受け入れないだろう。だからこの教育理念を受け入れられる教育システムが男子校には存在するのである。

☆価値相対化とキャラクターの乖離の情況は、歴史的には日本においてまずは生まれ、次は中国だろう。そしてキリスト教離れの欧州に及ぶだろう。それゆえ、それによるカオスというリスク回避のための教育システムが最重要な課題になることは必至である。

☆東京の私立男子校の存在意義は、かくして今歴史的存在意義として注目を浴びることになる。女子校は別の意味で、すでに歴史的存在意義を有しているが、それを明確に表現しているわけではない。これはこれでやらねばならない大事なことではある。

☆そして共学校は、この男子校の存在意義と女子校の存在意義の両方を孕んでいるわけで、そのシステムは最も難しい。にもかかわらず生徒募集のために安易に共学校になった場合、私学の存在意義を自ら捨てることにもなりかねない。そうではないことを検証する責任が、私立共学校の場合はあるのだが・・・。

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私学の経済ポジショニング[03]端緒を探る③私学経営研修会に参加して

2008年6月5日から2日間、東京で私学経営研修会が開催された。主催は財団法人日本私学教育研究所。後援は東京都、東京都私学財団、東京私立中学高等学校協会、日本私立中学高等学校連合会。

☆つまり、日本全国の私立学校の経営陣が一堂に会して、「私学の未来」と「私学力」について議論し、マニフェストを確認する集まりだったのだと思う。200名ほど参加していたのではないだろか。

☆縁あって、一日目の午後の部の「パネル・ディスカッション」のパネリストとして参加させていただいた。果たして私ごときが私学の未来や私学力について議論を広げ、深めるトリガーに成り得たかどうかは自信はないが、先生方の議論の様子や先生方との対話を通して、私立学校の奥深さを感じたので、いつものようにつれづれなるままに感想を書いてみたい。

☆経営研修会であるから当然ではあるが、補助金の問題、学費の課題、寄付の課題をどうするのかという現実的な問題と教育の理念をどのように結びつけるのか、教育の理念と現場の教育活動とをどのように結びつけるのかという現実と理想の話題、つまり経営の倫理と教育の論理の両輪が明確に前面にでていたのには迫力を感じた。

☆学校選択のために保護者が参加する学校説明会では、教育理念と教育活動が前面に出て、経営の倫理の部分はほとんど見えないため、私学力の全貌が実は見えない。全貌が見えないのに、さらに偏差値や大学進学実績という極めて局所的な指標で学校を選択しがちなのは、はたして大丈夫だろうかと、いつもは感じない学校選択の方法論のフラジャイルな弱みに改めて気付いてハッとした。

☆私学の経営の論理は、外から見ていてもわかりやすい。学費と助成金で学校の経営のそのほとんどは成り立っているから、要するに生徒数が定員を満たしているかどうかがわかればよいのである。しかし、私学の経営の倫理はほとんど見えないだろう。というのも助成金とどのように折り合いをつけるかという問題が横たわっているからである。

☆助成金を獲得しながらも、文科省の教育行政の支配に屈しないという私学の魂をどう堅持するかということなのである。この交渉において、いかに私学の協会関係者が手腕を発揮しているかを目の当たりにすると、私学力のエネルギーが実に元気がよいこととこのエネルギーを押さえつける文科省の教育行政側の方法論がいかにエグイかもわかってくる。

☆いずれにしても、この交渉力は実にマキャベリズムで、私学人はいかにプラグマテイストでなければやっていけないかと実感したのである。

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不安を生みだす抑圧系[11]日本の平和指標の意味するコト

☆ 【「世界平和インデックス」、最下位はイラク、日本は5位 AFP BBNews(2007年05月30日 22:41 発信地:ロンドン/英国)】によると、

08gpi 経済誌『エコノミスト(Economist)』関連のグループや平和学・紛争研究の専門家らなどが、世界の平和と持続性について共同の指標づくりに取り組んだ研究、「グローバル・ピース・インデックス(Global Peace Index、世界平和指標)」が30日、発表された。日本は平和度別ランキングで世界5位だった。同インデックスは、世界121か国を暴力や組織犯罪、軍事支出などの要因ごとに順位付けしたもの。世界で最も平和な国として挙げられたのはノルウェーで、日本も上位に挙がった。逆に最も平和でない国はイラクで、下位にはロシアやイスラエルが連なった。

08gpi_2 ☆このGPIのレポートはホームページで読めるので、ぜひご覧ください。すべてのランキングのページについては、念のため切り抜いて貼っておきます。さてさて、日本は5位ですが、本来憲法9条で戦争を放棄しているわけですから、もっと上位かと思いましたが、そうはいかないところが、このシンクタンクVision of Humanityは、なかなかではないですか。

☆日本という国を取り巻く中国や韓国の平和指標のスコアは低いし、それよりも、日本をパートナーとしている米国が低すぎですね。その影響をまず受けていると判断されています。

☆また、国内政治の不安定さも考慮されています。それにしても自衛隊が高い評価を得たうえでの平和指標のスコアは、なんとも複雑・・・。

☆いずれにしても、平和国家の顔をしていますが、周りめぐってはそうではないことが国際社会はわかっているんですね。しかし、EUも米国も、なんだかんだと言って、軍事力の部分では文句が言えないわけです。EUがエコロジー国際政治をやろうと、北欧が男女の差別がない政策をとろうと、遠くで化石燃料を収奪し、自分たちは重労働はせずに資金集約して経済を回していることは明らかにしたくないからです。

☆米国の軍事力を支える資金集約が、平和国家日本から吸い上げていることも明らかにしたくはないのですね。日本の国内社会の抑圧構造は、先進諸国の国際社会構成によって、構築されているわけですね。

☆今度は武力によってではなく、言葉力と知性と見識によって、世界のエリートと議論し、交渉できる人材を輩出したいものです。それには東大を頂点とするドメスティックな階層の枠内で優勝劣敗型競争をしていたのでは、本当の問題が見えなくなります。

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不安を生みだす抑圧系[10]世界経済減速続く?

☆日経(2008年6月3日)で、OECDのアンヘル・ケリア事務総長のインタビュー記事が載っていました。事務総長は、世界経済について「減速は当初の見通しより長く、深くなる」との見通しを示したようです。また、「規制改革、貿易自由化などで世界経済の基礎体力を強くする好機」だとも語ったようです。

☆次の世界経済システムづくりのために各国が強化されるチャンスということでしょうが、これは大量生産、大量消費、大量移動の経済をBRICsが担い、欧米先進諸国はソフトの部分を担うという国際的な産業役割分担を徹底し、インフレを吸収するシステムづくりということを意味するのではないですよね。

☆炭素課税や排出量取引は、そのための国際ルールになってしまうということはないでしょうね。化石燃料の値上げ→インフレ→商品やソフトの高騰継続→産油国が結局高い商品を購入というサイクルができるのに長い時間がかかるよということでしょうか。

☆この動きに警鐘を鳴らせるようなリーダーの輩出を、明治維新以来、私立学校はミッションとしてきたし、今後も期待したいところです。アダム・スミス・ルネサンスも、道徳感情論路線回帰という話になって欲しいものです。

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不安を生みだす抑圧系[09]経営環境の悪化?

☆日経新聞(2008年5月10日)の「働くニホン」取材班の記事では、実に興味深いデータが掲載されています。

「労働人口の減少、景気減速や資源高による経営環境の悪化――。二つの難題に直面する日本。

☆少子高齢化や化石燃料の問題を難題ととらえています。ここに抑圧が隠されていますね。大量生産、大量消費、大量移動のシステム維持のために、資源奪取、労働集約をしてきたわけですが、これが崩れる、なんとかしたいという抑圧感が、人材の不安を煽ります。

☆だから、新入社員の自己評価は、一方で「安定志向が強い」となり、片方で「組織とつながっていたい」とは思わない方に針がふれているのです。

☆安定したい、でも鬱屈感のある組織にはいたたくないよというアンビバレンツな心理状態になるわけです。大量生産、大量消費、大量移動、資源奪取、労働集約というシステムは、勝ち組負け組という優勝劣敗という格差を生みだします。

☆しかも実に辛いのは、たとえば、ニューヨークのアナリストの次のような評価です。「日本の為替相場について、為替の変動は、日本国内の市場に理由はなく、アメリカの雇用市場に左右されている」と。

☆アメリカの大量生産、大量消費、大量移動は、資源蕩尽、資金集約によるのだが、それができるのは、日本の経済社会から資金を吸い上げられるからであるということを言っているのです。

☆日本の人材は、このような経済システムに従属せざるを得ない状況下にあるんですね。この中で勝ち組になれば、抑圧システムの中で少しは楽な有利な地位につけるかもしれないし、このラットレースの中から抜けだすことができるかもしれないのですが、負け組は、このラットレースの中で走り続けなければならないのです。バタリと倒れるまで・・・。

☆このラットレースというシステム機械から抜けられる新しいシステムづくりはいかにして可能なのでしょうか。少子化、化石燃料の弊害と高騰は、難題ではなく、この新しいシステムづくりの重要なトリガーなのではないでしょうか。

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私学の経済ポジショニング[02]端緒を探る②

☆私学の経済ポジショニングとは一体何を言いたいのか?と言われるかもしれない。それはシンプルで、私学の教育や授業が、今後の経済社会に大きな影響を与える位置を占めるということを意味している。

☆私学の系譜をたどれば、そこに経済社会の未来は見える。逆説的だが歴史を学べば、過去に未来が見えるのである。明治維新の後、たくさんの近代化路線の選択肢があった。そのうち明治政府が選んだ路線は、優勝劣敗路線。格差問題が今騒がれているが、20世紀近代日本の出発時点で、すでにセットされていたのである。

☆この政府の近代教育路線の格差の象徴的な側面の1つが、女子教育である。東京女子学園の理事長・校長であり、東京都私立中学高等学校協会副会長の實吉幹夫先生は、明治の中等教育について、こう語る。

「明治維新の後、近代国家への脱皮を急いだ明治政府は、欧化政策のもと社会基盤の整備を図る一方、教育制度を充実させていった。その一つに『高等女学校令』があったが、中等教育以上の学校制度は、男子の教育を中心としたものであった。日本社会の近代化に伴い、女性の活躍の場が徐々に広がり、女子教育の重要性を痛感した先覚者たちが、戦前まで多くの私立高等女学校を開学していった。」(「『女子校』の存在意義」元気な女子校 創刊号 所収)

☆明治の近代化の出発点で、もっとも顕著な優勝劣敗は、男女の格差であった。この格差は、戦後の共学校の出現、また最近の男女共同参画の動きで解消されたかのごとくであるが、実際には女性の組織におけるリーダー的役割の進出がまだまだ阻まれているところからもわかるように、解消などされていないのである。

☆女性の地位向上がどうのこうのというより、男女の格差という問題を根本的に解消する価値観がそもそも明治以来希薄だったのだということこそ重要な問題意識であり、そのことを忘却せず、男女の格差にとどまらず、この格差問題が生みだしてきた大量生産、大量消費、大量移動による人間環境破壊をどのように解決していくかが、實吉先生の語られる「女子校の存在意義」なのだと思う。

☆私学は、明治維新からすでに、政府の優勝劣敗近代路線とは違う、もう一つの近代路線を選択し、それを教育理念に内包し、私学の文化資本再生産を持続可能なものとしてきた。この私学の文化資本こそ、日本社会の経済システムを組み立て直す源泉となり得るのである。

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不安を生みだす抑圧系[08]2008年大学入試 私大定員充足率

☆「2007年度私立大学・短期大学等入学志願動向」(日本私立学校振興・共済事業団 私学経営相談センター編)によると、2007年度の入学定員充足率は108.98%で前年度の107.27%を上回りました。

☆しかしながら、定員の規模別に見ていくと、800人以上の規模の大きい大学がその率を上げているのが現状で、大学全入時代だからといって、少子化の影響を免れるわけにはいかないようです。

07 ☆充足率が100%満たない私大は、39.5%で、前年度よりその割合は減ったものの、勝組と負組の格差は明確になっています。

☆量の競争は終わりを告げたということを意味していますが、質の競争に移行しきれないために、この少子化現象は、学力低下の懸念の声ばかりが聞こえてきます。

Palmの生みの親、ジェフ・ホーキンスは、シリコンバレーで大成功を収めた起業家の1人だと言われていますが、氏は、モバイルコンピューティングの製品開発のために、脳科学、宇宙工学、認知科学など開発に必要と思われるあらゆる分野の本を横断的に読破し、研究しています。

☆学力低下はここでは問題ではないでしょう。必要が研究や学びを生むのです。定員充足に満たない大学は、ジェフ・ホーキンスのような人材をイメージして、生徒獲得戦略を立案実施すればよいのではないでしょうか。起業しながら研究していける環境をセットするということです。

☆そうすれば、学費が払えない家庭の子弟も問題はありません。大量生産・大量消費を前提とする経済社会を支える学力や学歴なんかなくても、質の生産・質の消費を生みだす才能と技術があれば、学力はあとからついてきます。初めに学力ありきという社会は崩れているのですから。

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私学の経済ポジショニング[01]端緒を探る①

08 ◆今年、首都圏の私立中学入試の受験率は、20%を超えたと言われている。これは首都圏の中高一貫校がやっと20%:80%の論理、つまり古典的ではあるがパレート最適の理屈が成り立つ時代がやってきたと言えるのである。

◆3年ぐらい前から、マスコミの私立中高一貫校の取り上げ合戦がすさまじいことは今さら言うまでもないが、全国誌のマスコミも、首都圏で売上があがるように編集コンセプトを固めているところからも、首都圏、特に東京の私立学校の教育における発言力は強まっているといえよう。

◆せっかく強まっているのだから、私立学校の教育の強みを世の評判とし、大学実績の話題だけではなく、日本社会や世界の諸問題の解決に大きな影響を与えるような発言をしていくことがポイントになるのではないだろうか。

◆私立中高一貫校に進学できる数は、同世代人口の7%であり、首都圏の場合だと3%である。少子化の影響は甚大ではない。いやむしろこの少子化が生みだす諸問題を解決する影響力を私立学校は持っているのであるから、それを大学進学実績を出すことに蕩尽してはならない。

◆少子化が生みだす諸問題とは、経済格差、教育格差、人間力格差=環境破壊などであるが、明治以来の官僚近代が推し進めてきた、殖産興業・富国強兵・戦争→大量生産・大量消費・大量移動の優勝劣敗路線の破綻の兆しであると言っても言い過ぎではない。

◆この大量生産・大量消費、つまり経済成長の減速を、官僚近代路線は、かなり小手先の対処療法で立て直そうと躍起となっている。消費者のニーズを大切にするなどと言う甘いささやきのもと、消費者の人間性を空洞化し、ニーズをキャラ化し、消費意欲を人工的にアップさせる環境統治型戦略をとっている。

◆しかし、少子化は、この大量生産・大量消費・大量移動を否定する事態である。質の生産・質の消費・質の移動への転換が時代に期待されている。この期待に応えることができるのは、教育であるが、公立学校の教育は、残念なことに、この大量生産・大量消費・大量移動を促進するための教育であり、そのモチベーションアップの手法は優勝劣敗という抑圧系の方法である。こうして高ストレス社会が日本に蔓延してきた。

◆ところが、私立学校の教育は、この意味で真逆の方向をたどっているのだが、結局進路の過程が公立学校の教育と同じであるため、目に見えないキャリア教育の質に気づかれることがなかったのである。

◆しかし、やっと少子化によって、クオリティ・ライフとしての生産・消費・移動が必要であることが見え隠れし始めた。大量の生産・消費・移動を支えてきたものは、資源奪取と労働集約の論理であったが、これが環境の持続可能性と創造的労働に転換することになる。

◆人間は自分が住んでいる環境そのものであり、人間の品性の向上はその環境を創造する知恵に根拠がある。少子化は放っておくと、環境を荒廃させ、創造性を枯渇させる。教育によって補完することが求められるのは、そこに理由がある。その教育の方法論を持っているのは私立中高一貫校(もちろんそうでない私学もある。傾向としてということ)であり、この教育が社会の経済性を官僚経済・企業経済から市民経済にチェンジするトリガーであることは間違いない。

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不安を生みだす抑圧系[07]2008年大学入試 工学部復調?

☆日経(2008年5月12日)によると、今年の大学入試の国公立大学前期日程学部系統別志願状況において、工学部は昨対比3.8%増(河合塾調べ)だそうです。そして、法・政治(3.3%増)、経済・経営・商(2.1%増)と続くそうです。

☆医・歯・薬系では歯学不振が際立ち、私立大学では、食物・栄養、児童、社会福祉、歯など資格に直結する分野が振るわなかったようです。

☆隔年現象とか少子化の影響とかあるのでしょうが、21世紀型産業や社会を切り拓ける学部に人気が集まったと予想することもできるのではないでしょうか。

☆資格や技術は、サバイバル・スキルとして重要なのですが、安定した組織の存続が前提です。その組織の中で通用する資格や技術の獲得は、その中で有利に競争を展開できるわけです。

☆しかし、新しい組織がどんどん生まれるような21世紀の社会では、自分の技術を生かす起業をした方が、利益も生むしやりがいもあります。よく言うハイリスク・ハイリターンですが、この傾向は、日本社会でもこれからますます強まるでしょう。

☆今のところは、3%から4%ぐらいの増では、実感は持てませんが、企業の中でいじめの相談件数が増えたり、鬱になる会社員が増えているというような話は、従来型の組織の圧力にそろそろがまんができなくなっている兆しだと考えることもできます。

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不安を生みだす抑圧系[06]労働相談件数増加②

07 ☆厚労省の「平成19年度個別労働紛争解決制度施行状況 」には、民事上の個別労働紛争に係る相談内容の内訳も分析されています。解雇に関するものが最も多く22.8%、いじめ・嫌がらせに関するもの、労働条件の引下げに関するものが12.5%と続いています。

☆解雇に関する事例としては、同調査によると、

会社から「営業成績が悪い」として解雇されたが、会社の解雇回避の努力もなく、雇用契約期間の途中に解雇されたことに納得できないとして、解雇の撤回又は精神的苦痛及び経済的損害に対する補償を求めたもの。

☆同様に、いじめに関する事例としては、

顧客からクレームがあった際、上司から人格的価値、社会的評価・名誉を害する発言を受け、会社に職場環境の改善を求めたが聞き入れてもらえず、逆に会社からも言葉の暴力等により精神的に追いつめられ、退職を余儀なくされたとして、精神的苦痛及び経済的損害に対する補償を求めたもの。

☆労働条件の引下げに関する事例としては、

突然会社から1か月の勤務時間数が削減される勤務シフトを提示され、それに納得できないことから、労働条件変更の撤回を求めたもの。

☆これだけの事例では、実際のところはわからないですが、一方的な抑圧的なコミュニケーションが行われていることが共通しているということになりますね。

☆大事なことは、このような紛争が起きている会社では、雇用者側や上司はコミュニケーションがとられていないとは思っていないことです。おそらく報・連・相などは徹底しているケースがほとんどではないでしょうか。

☆そのコミュニケーション自身が、抑圧的な言動になっていることに気づくことはないのでしょうか。本当は気づいているのだけれど、形式的コミュニケーションをとって、職場の活性化を行っているということにしているだけなのでしょうか。

☆いずれにしても抑圧の原因は、コミュニケーションの質の問題で、この質が改善されないのに、よく話し合うようにという助言指導があったとしても、何も変わらないのです。創造的なコミュニケーション、双方向的なコミュニケーション、寛容なコミュニケーションのバランスがよい組織づくりが、抑圧的なコミュニケーションを解体します。

☆そのためには、知恵と見識と思いやりが必要だし、そういう知性があれば、保守主義、偏向主義、リスクの隠ぺい、無気力を打ち破ることができるはずです。

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不安を生みだす抑圧系[05]労働相談件数増加①

☆ 「<職場いじめ>昨年度27%増…相談6千件 厚労省まとめ 5月24日11時35分配信 毎日新聞」によると、

厚生労働省は、07年度の総合労働相談の結果を公表した。職場でのいじめに関する相談が前年度に比べて約6000件(27%)も増えたのが特徴だ。労組や弁護士グループの労働相談でもいじめ相談はここ数年増加しており、職場でのいじめが深く広がっていることをうかがわせた。総合労働相談は全国の労働局が約300カ所で実施。相談件数99万5061件(前年度比5.2%増)のうち、労働条件の引き下げなど個別の労働紛争に関する相談は約20万件(同5.5%増)に上った。

07 ☆この記事の情報ソースは、厚労省の「平成19年度個別労働紛争解決制度施行状況 」によっていますが、そこに載っている相談件数の増加のグラフを見ると、ゾーッとします。それはこんなに増えているのかというより、今まで相談という形をとらずに、どれほど泣き寝入りしてきた数が多かったかということを想像してしまうからです。

☆これは教育という職場でも同構造なのでしょうね。教職員の中の人間関係の悪い学校に子どもが通うと、それはあまりに不幸ですね。教職員間で抑圧的な雰囲気があると、それは生徒たちにも影響を及ぼすからです。

☆これは家庭でも、企業でも、官庁でもどこでもそうです。かつてある公立中高一貫校の校長がパワハラの言動をとっている姿をみました。私立中高一貫校のある教員が業者に対して非人間扱いしている現場にも遭遇しました。人間は互いに狼であるとは誰が言った言葉だったでしょうか。まったく悲しい現実です。

☆子どもたちをオオカミの餌食にされてはたまったものではありません。人間は互いに狼でないように信頼関係を結ばなくてはなりませんね。あれっ!これって社会契約論ではないですか。もっともルソーではなく、ホッブス的ですが。

☆なるほどロールズの公正的正義論は有効ですね。この契約は、しかしコントラクトなのでしょうか、コベナントなのでしょうか。1つの言葉は言語的差異の構造でできあがっています。コミュニケーションの重要性は、この差異の構造を常に再構成しながら議論することです。

☆これができないのは日本の教育に問題があるのですが、そのことにすでに気づいていた私学人は福沢諭吉ですね。「文明論之概略」は、議論ができない日本人よなんとかせいというところから始まります。

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不安を生みだす抑圧系[04]大学二極化

☆日経新聞(2008年5月12日)に大学二極化激化の記事が掲載されていました。記事の中に散在していた数字を集めて表にしてみると、たしかにすごいですね。

08 ☆MARCH以上は、少子化にもかかわらずほぼほぼ増えていますが、駿台予備校の設定する最低ランクEの大学の70~80%は実質倍率が2倍に到達しないのです。大学全入時代とは、なるほどこういうことです。

☆しかしながら、Eランクの大学でも20%~30%の学校は志望者がある程度集まっているということでもあります。こちらを注目した方が、抑圧はなくなるし、そうすると大学受験の不安は消えますね。

☆もっともその大学に入って、卒業後の就職はどうなんだろうという、労働環境という圧力がありますから、不安はなくなりませんね。

☆さて、それはどうしたらよいのでしょう。それがEランクの大学の新しい役割チャンスですね。キャリア・サポートをしっかりするプログラムを作ることです。何も企業に就職することだけが選択肢ではないのです。企業か公務員か、資格か、研究かだけしか選択肢がないのなら、この労働環境そのものが抑圧的雰囲気を生み出します。日本の近代社会は、ずっとこういう圧力を国民にかけてきたのです。

☆やはりEランクの大学は、起業の道を学べるプログラムをつくるということです。日本は文化というクリエイティブな仕事をもっともっと起業できるリソースがあるんですね。その象徴が村上隆さんのフィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」に16億円の価値がついたということです

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不安を生みだす抑圧系[03]

☆前回紹介した「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方について反対している女子、男子それぞれの割合に、2006年実施のOECD/PISAの学習背景調査の別のデータを並べてみました。

Photo ☆それは、各国の校長先生に、保護者の子どもに対する学力期待の圧力を感じるかという質問の回答のデータの1つです。スウェーデンでは、ほとんど感じないと回答している校長先生は0%です。逆に言えば、学力期待を圧力だと感じている校長が他の国より多いということですね。

☆これだけ女性のポジションが高い国で学力期待を圧力だと感じている校長が多いというのはどういうことでしょう。ドイツはスウェーデンに比較して、感じない校長が多いわけです。

☆これはどういうことでしょうか。このデータだけではもちろん何とも言えないわけですが、圧力や抑圧に対する繊細さあるいは鈍感さの差異ということでしょう。少ないとはいえ、日本も鈍感な校長もいるということでしょう。

☆ただ、それより大事なことは、日本や韓国の場合は、女性のポジションは低いのですが、これはそのことを自覚しながらもあきらめているということをこのデータは示唆しているのではないでしょうか。圧力を感じることができる校長のほうが多いわけですから、「圧力はある。でもその圧力を受け入れるよりしかたがない」ということでしょう。

☆この圧力を正のエネルギーに転化したいものです。これは、女子校、そして実は男子校の教育の重要な役割です。一方、公立の共学校の場合は、どうしてもこのような日本の社会を受け入れる教育にならざるを得ないかもしれません。というよりこういう女性のポジションを作ってきたというべきでしょうか。私立の共学校は、この点において公立と大きな差異があるはずですが、それをうまく表現できていない可能性があります。公立と私立の違いは、共学校で明確に表現できなければ、大学進学実績以外の指標で、公立と私立の差異の認知を浸透させることが難しいですね。

☆大学進学実績を振り回すこともまた、抑圧的な表現です。私立学校のミッションからいって、このような言動は控えるべきでしょう。教育のプロセスの結果、実績は出るわけですから、そのプロセスを明快に表現したほうがよいのです。学校選択者も抑圧的な選択をするのではなく、教育のプロセスを丁寧に聞く姿勢が、将来の子供たちの成長にとって有益です。

☆どうやら教育の選択にも、意志決定の方法としての見識が必要のようです。

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不安を生みだす抑圧系[02]

☆不安を生みだす抑圧系の浸透力は、男性性のステレオタイプの形成と相関しているかもしれません。もっともこの男性性のステレオタイプ形成史など途方もない作業で、それは学者にお任せするしかありません。

☆しかしながら、今の若者論を読むと、「男は黙ってサッポロビール」「大きいことはイイコトだ」なんて団塊・断層の世代に受けれられてきたコミュニケーションとはどこかその手法や価値観が違ってきていることは、みなさんが承知していることではないでしょうか。

Photo ☆今年公表された内閣府の「男女共同参画白書」を見ていると、私たちの国日本は、まだまだ男性性の圧力がすさまじいことがわかります。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方について反対している女子、男子それぞれの割合を表にしてみました。なんとなんと日本も韓国も女性の75%が反対ではないという結果になっています。データは、平成14年度の内閣府「男女共同参画社会に関する国際比較調査」(平成14年度)によるので少し古いのですが、ここ数年で大きく変わったとは思えません。

☆女性を抑圧する男性性の日本システムはすさまじいものがあります。しかし、一方で若者はこの男性性のステレオタイプはダサイという言葉で、一笑に付している感もあります。アキバ系はその一つの顕われでしょう。

☆もちろん、それがにわかに広がることはないでしょうが、SMAPを中心とするジャニーズの人気は、確実にこのステレオタイプをチェンジしていくかのような勢いです。しかし、やはり・・・、ファッションとして男性性のステレオタイプをチェンジしているだけで、中身は変わっていないかもしれません。ネットやモバイルの裏サイトの事件は男性性の負のステレオタイプが闊歩している可能性がありますね。

☆それに、2006年のOECD・PISAの学習背景調査による、学校の評価において「絶対評価」を取り入れているかどうかの割合も表に並べましたが、取り入れているという校長の回答は80%で、他の国に比べて、決して低いものではありません。にもかかわらず男性性の圧力が強い。

☆これはどういうことでしょう。スウェーデンでは男性性のステレオタイプが衰退しているという背景で「絶対評価」を実施しているのに対し、日本では男性性のステレオタイプが健在であるにもかかわらず、「絶対評価」をしているのです。

☆繊細な保護者が私立中高一貫校の受験をなぜ選択するのかというと、もしかしたらこの男性性の圧力下の「絶対評価」ではなく、その圧力が希薄な「相対評価」によって、つまり仮想市場の競争によって進路を決めたいと感じているからかもしれません。

☆海外勤務の経験ある保護者は特にそうでしょう。私立中高一貫校の中で多くの帰国生が選択する学校が少しずつチェンジしていくのは男性性ステレオタイプではない異文化の影響を被るからでしょう。攻玉社が外から見ていて変化しているように見えるのはそのせいかもしれません。国際学級を運営し始めた時点では、帰国生を男性性ステレオタイプの枠にはめようとしたが、それはできなかったのではないでしょうか。その変化を受け入れているのではないかと思います。

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不安を生みだす抑圧系[01]

☆内閣府は「19年度男女共同参画白書」を公表しています。その中で、各仕事で、女性がどのくらいリーダー的役割を任せられているのか、その割合をグラフにしたものがあります。

07 ☆これを見ると、日本では、まだまだ女性は各仕事においてリーダーとして進出するのを阻まれていますね。このグラフをどのように解釈するかは、人によって違うでしょうが、いずれにしても日本社会の構成上、女性のリーダー進出に圧力・抑圧がかかっているのは確かではないでしょうか。

☆この抑圧が女性に不安を生み出します。この不安は正のエネルギーに転化する場合も、負のエネルギーに転化する場合もあります。

☆しかし大事なことは女性にだけ正のエネルギーに転化する役割を押し付けていては、社会の構成が変わらないのですね。このグラフを通して、女性だけではなくあらゆるところに偏在する抑圧系を感じなくてはなりませんね。

☆この抑圧系という今の日本社会の隠れたリスクを見える化することで、社会の構成をチェンジすることが可能かもしれません。マスコミや官庁の出すデータを1つひとつ探っていきましょう。

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