教育

教育の一元化 「図書館戦争」のリアルバージョンか?

☆日経新聞(2013年4月25日)によると、下村文科相は、「教育長に教育行政の決定権を持たせ、教育委員会はチェックや基本方針の審議をする場にするとした。自治体に教育行政の法令違反などがあった場合、国が是正を指示しやすくするよう制度を改正することも求めた。」という教育の一元化に邁進いているという。

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聖学院の高2トリオ 男性の命救う

読売新聞(08年12月16日夕刊)によると、12月13日(土)昼、JR駒込駅で目の不自由な男性が転落。3人の聖学院の高2の生徒が、一瞬の迷いもなく、救出アクション。男性がホームに引き上げられた数十秒後、電車がホームに入ってきた。

☆ホームには利用客が何人もいたが、すぐに救出の行動をとったのは、聖学院の生徒だった。このことについて、読売新聞は新聞メディアの性格上、あえて何も語っていない。あくまで、聖学院の3人の生徒それぞれのパーソナルな正義感と行動力を称えているだけだ。

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中学入試と人間形成[01]

☆どんな環境においても子どもっていうものは自分の足と腕と頭脳でサバイバルできるのだからそんなに勉強させないで、自由にやらせたほうがよいよなんてノンキなことを言う親はいない。と、言いたいところであるが、果たしてそうだろうか。

☆たしかに、荒れ狂う世界の金融市場や不動産市場、食品の安全崩壊に囲まれて、実際生活にその影響が直撃している今日、子どもの将来を不安がる親の方が多いだろう。この不安がどういう抑圧構造から生まれてきているのかについては思考停止するようにセットされた学習指導要領下のおかげで、学習市場・受験市場に並んだ教育商品を購入することで、一時の安心を得ては、日々一喜一憂しているというのが現状なのではないだろうか。

☆しかし、その結果、思いもよらぬ事態を招くのである。島国・タコツボ以外ではサバイバルできない日本人を・・・・。ムム・・・?一見ノンキではないが、結果は同じということか・・・。

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≪学校選択指標≫クオリティスコア×偏差値×大学実績[08共学]

≪学校選択指標≫クオリティスコア×偏差値×大学実績[08女子]のつづき。共学校のリストを公開する。首都圏の公立中高一貫校は最近開設されたばかりなので、大学合格実績についてはこれから。したがって、今回はリストに載せなかった。

☆桐蔭については、共学としてまとめた。かえつ有明などは共学になり、校舎移転してからまだ3年目で、実績はでていないが、教育の質の向上を目的にさらに創意工夫がなされているので、参考までにリストに載せた。

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≪学校選択指標≫クオリティスコア×偏差値×大学実績[08女子]

≪学校選択指標≫クオリティスコア×偏差値×大学実績[08男子]のつづき。今回は女子のリストを公開する。条件は男子校の場合と同じ。クオリティスコアが高くても、3つの指標の条件がそろわない場合、リストに載せていない学校もある。

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≪学校選択指標≫クオリティスコア×偏差値×大学実績[08男子]

☆これまで12の学校選択指標でクオリティスコアを出してきたが、偏差値と大学合格実績を並べる一覧を作ってみることにした。というのも、偏差値にこだわらず学校選択が可能であることを一目瞭然にしてほしいと、幾人かの編集者から問われたからである。

クオリティスコアは、「名門中学の作り方」(学研新書)を執筆するときに少し見直した。本ブログでは、2007年版しか掲載していないので、2008年版ということになるか。従来は、クオリティスコア2.8以上しか公開していなかったが、今回は2.6以上の準クオリティスクールも一覧に加えた。

*クオリティスコアについて→学校選択というコト[01]

☆偏差値は、各テスト会のものを参照・吟味し、筆者の方でレンジ別に整えた。クオリティスコアとの相関を考えるうえでは、コンマの違いは意味があるわけではないと判断した。

☆大学合格実績は、「2008年度版大学入試全記録 高校の実力」(サンデー毎日特集版)を参考にし、東大、京大、早稲田、慶応、上智、ICU、MARCHの合格者数が、卒業生数に占める割合を、これもレンジ別にした。

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子どもの世界 親の思い[02]

子どもの世界 親の思い[01]のつづきです。先週の土曜日、月一回の「言葉の絵」コースを支援しました。毎週やっている「絵」のアートクラスは、ハートフルアート・メソッドで行われていますが、「言葉と絵」のコースは、マインドチェンジ・メソッドで行われます。

☆ハートフルアート・メソッドの方では、美術の専門教師が「熟練」「統合」「尊敬」「創造」をベースに絵や作品の表現の仕方を指導していきます。

☆マインドチェンジ・メソッドでは、マルチ知能を結びつけるプロセスと子ども自身が社会にどういう役割を果たしていくのかモニターしながら気づいていくことを目標にしています。マルチ知能をman for othersにどう高めていくか、そこでどう変化している自分を見つけられるのか、かなり改革的な学びです。

☆私の役割はマインドチェンジという「学習支援」を行うことです。専門的な絵画や工芸の「熟練」という部分では何もできませんから。私はこの支援を「学習支援学」として一般化したいなあと思っています。

☆というのもこういう改革的なことをやろうとすると、最初は1%ぐらいの人しか協力しようなどと思わないわけですね。明治の時に学制が実施されたとき、両親が学校に通わせようとは思わなかったほどです。今では信じられません。しかし、新しい学びをやろうとすると、それに興味と関心を示す親は、やはり少ないものです。

☆今でもインドのある寒村では、学校に行かせるより労働してほしいと思っている親の方が多いそうです。親の影響はなんだかんだといって大きいですね。

☆ところが、知人のアートクラスでは20人のうち、5人以上が月に1度の「言葉と絵」のコースに参加するのですが、それは25%も参加するわけで、このアートクラスに通っている保護者の意識は相当高いということになります。この意識は全体の1%とすると、500人のうちの5人と想定できるので、これは頼もしい保護者がいるということになります。「学習支援学」は一般化する価値があるかもしれません。

☆実際自分で企画を立てたり、編集の仕事をしたりする母親もいます。従来の学校の教授法とは違うメソッドの必要性をはじめから感じている保護者がいるということなのです。

☆子どもたちも、猫の話からキティちゃんの話になったり、うさぎやトラの話になったり、猫の生活の環境について語ったり、想像を広げることになんら抵抗感がないのです。

☆しかもキティ・キャラクターの絵も描くけれど、自分なりの猫のイメージを表現することもできるんですね。その違いがわかるわけです。違うけれど同じなんだという猫のアイデンティティについて楽しく話し合うことができるのですね。キャラとアイデンティティとしてのキャラクターの差異について小学校低学年であっても、了解するプロセスを体験することができます。

☆この体験の環境を設定しようとするかしないかは、子どもたちの未来のクオリティ・ライフを獲得できるかどうかにかかわってくる可能性があります。もちろん、それを証明するには大掛かりなプロジェクトが必要になり、今のところは信じているとしかいいようがないのですが・・・。

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子どもの世界 親の思い[01]

☆少しおもしろいというか不思議な世界があります。年少から小学校6年生までの子どもが集まって週に1回、お絵かきクラスと月に一度読書と絵を結びつけたクラスを主宰しているアート・クラスがあります。小さなクラスで20人強でもう満杯状態なのです。口コミで集まっているので、特に宣伝はしていませんね。自治体の施設を使っているので、いわゆるボランティアベースということもあるのでしょう。

☆そこに集まっている生徒は公立小学校に通っている生徒も、私立小学校に通っている生徒もいるのです。幼稚園の子どもたちの中には、お受験組もいるのです。しかし、だからといって、受験勉強をするようなアートのクラスではないようです。

☆年に一度、子どもたちの成果を発表するイベントがあって、そこに家族で120人ほど訪れていますね。作品は静物画から創作絵本、協働絵画(模造紙7枚ぐらいつないだ大きなものですね)、粘土による彫刻、工作、油絵、パステル画など多種多様です。絵を書くワークショップもあるので、そこでは保護者どうしの対話もあふれていておもしろい空間ができあがっていますね。

☆そのイベントに訪れた人の中には、このアート・クラスに通っている子どもと同級生という家族も多いのですが、友だちの新しい側面を見つけて驚いています。

☆作品には、ふだんは知らない友人の世界が広がっているからですね。すべての子どもが絵が好きなわけではないので、このアート・クラスを選択している子どもは、もともと好きなのでしょうか。絵を描くときの集中している状態や持続力には感心します。

☆しかし、実は、はじめから絵が好きな子ばかりが参加しているわけでもないようです。保護者の話を聞くと、なるほどと気づかされるのは、絵も彫刻も、表現の選択肢の1つなんですね。子どもは自分の思いを、言葉や身体、音楽、絵画、数字などいろいろな形態で表現します。

☆ところが高学年になると、言葉が中心となるのですが、それがどうも違うのではないかと不安に思っている保護者が多いのですね。お受験をするしない、中学受験をするしないも、子どもの表現の選択肢をどのように豊かにするかを考えたうえで、選択決定をしているのです。

☆ママたちは、携帯電話や携帯メールを駆使しています。だいたいこのアート・クラスも連絡は携帯メールがベースです。携帯電話がダメだなんて思っている人は一人もいません。でも、指を動かし、身体のバランスをとりながら作品を作っていく体験も大事にしています。要は偏っていないということですね。

☆不思議なことは、受験勉強とはまったく関係ないのに、お受験や中学受験を選択する場合にも、自然と役立っていることですね。その秘密はなんなのかは、ニワカニはわかりません。ただ言えることは、意外にも9歳ぐらいまでの子どもたちの生きざまが、大人になっても脈々と続いているということらしいのです。だから、9歳までにチェンジする(9歳・10歳の壁を乗り越えることですね)ことを、アート・クラスを選択した保護者は―意識しているかしないかは別として―、共有しているようですね。

☆言葉と絵のクラスは、月に一度ということもあって、私もときどきサポートのチャンスをもらいます。そんなわけで、この不思議なアート空間で、保護者の話を聞く機会をもらっているのですが、子どもの世界を見守る親の思いの深さに感動します。どうもマスコミを通して見る子ども観や家族観とは違うところが多いですね。このアート・クラスには、マスコミが映し出す世相に惑わされないようにクリティカル・シンキングができる保護者が集まっているということなのかもしれませんが、イベントに集まってくる数を考えると、そのような保護者や家族は決して少なくないように思います。

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08全国学力テスト“08” 小6国語学テの意味するコト④

☆今年の全国学力テスト小6の国語の問題の習熟度別レベルの出題割合分布を、今度は共立女子の今年の国語の中学入試問題(入試日A)と比較してみました。結果は、グラフを見ての通りです。

08 ☆やはり、レベル4、5、6の領域に差異があります。共立女子の入試問題は、今どき珍しいのですが、記述や論述の問題が出題されません。漢字の読み書きや抜き出し問題以外はすべて選択肢問題です。センター試験に近いイメージですね。選択肢の数もほとんどが5択です。ですから記述式や論述式よりはっきり生徒の思考の深さがわかります。

☆ただし、選択式問題で、批判的思考や創造的思考のレベルをみる問題を作るというのは、実はなかなか難しいんですね。ある意味思いきり解答を誘導せざるを得ない部分があるんですね。ですから一般の読解リテラシーの問題では、選択式形式で、このレベルの問題は出題されないのです。

☆まして全国学力テストの場合、選択式問題でそのような挑戦はしないでしょう。もし出題したら、たいていはうまくできていないので、あらゆるところから非難が集中してしまいます。記述や論述だとその非難を交わすことができますね。

☆ということは共立女子の選択式問題の創意工夫というのはたいしたものだと言わねばならいということになります。何せ私が知る限りこの形式は20年以上も続いているのですから。それだけ選択式問題の創意工夫のノウハウが蓄積されているということでしょう。

☆思考の深さという点では、まずは表面から内面に視点が移っていったり、物理的時間と空間が心的に時空として融合していく感覚、物象から関係性を開いていく思考など実によく工夫されています。共立女子を受ける受けないにかかわらず、ていねいに解くと、読解リテラシーとは何かというのが身に染みてわかるでしょう。

☆共立女子を目指して勉強している生徒は、このレベル4、5、6の問題が30%弱出題されていますから、ここを無視することはできません。合格するには68%ぐらいとらねばなりません。レベル3以下の問題をすべて解ければ問題はなさそうですが、そうはうまくはいきません。広く深く考える習慣を身につけておく必要があるのです。そしてそういう勉強の仕方をしておかなければ、共立女子に入学してからがたいへんですね。

☆ともあれ、国語の問題を通して、共立女子の教師の質の高さがわかるし、テキストとして選択されている詩や物語、説明的文章からは、子供たちの問題意識を喚起するテーマへの先生方の熟慮が了解できます。テキストを選択する見識こそ子供たちの好奇心を呼び覚ます教師の力量です。この点に関しては、全国学力テストはまだまだです。文科省の操作性が行き届かないという点ではまあ良いのですが、そのようなテストを解いている時間がもったいないような気がします。誰のためのテストなのか・・・ということを改めて考えてもらいたいものです。

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08全国学力テスト“07” 小6国語学テの意味するコト③

☆今年の全国学力テスト小6の国語の問題の習熟度別レベルの出題割合分布を、今回は開成学園の今年の国語の中学入試問題と比較してみました。グラフを見ての通りです。

08 ☆思考の問いの深さがこれほど違うわけです。知識の量の差は、実はこの思考の深さの差によって生みだされているともいえます。モチベーションの差も同様です。

☆ちょっと考えれば当たり前です。好奇心も、オープンマインドも、疑問も、気づきも、批判的思考や創造的思考なくして生まれてこないからです。これらの思考が抑圧されている場合、外的な教育の強制でモチベーションをアップするしかないでしょう。

☆日本の教育の鬱屈な雰囲気は、この思考の深さの抑圧的な制限にあったということではないでしょうか。学習指導要領はそこをあえて表現できなかったのかもしれません。それは思想の自由を奪うことを宣言することになってしまうからです。

☆ですから知識の制限はしたんですね。これとて本来学びの自由を奪うことなんだけれど、知識の暗記に対する世論のマイナスイメージを逆手にとれたんですね。しかし、思想や考えることの自由を奪うよと言うのは、さすがに世論が許さないというわけですね。

☆それゆえ私立学校では、そこのところで思いきり学びができたし、今後もそうするわけです。もしこのことに気づいてしまった公立学校に通わせている保護者はどうしたらよいのでしょうか。

☆何もしないよりは、大いに体験した方がよいし、大いに読書した方がよいし、音楽に接したり、身体を動かしたりもよいですね。でもそれだけでは、気づかないまま過ぎてしまうことが多いですね。

☆この体験に、ハワード・ガードナー教授の学習理論を介するのがよいですね。できれば9歳までに。それから成毛眞さんの読書術を保護者がまず実践してみることです。

☆しかし、それでもなかなかうまくいかないでしょう。やはり親の限界というのがあります。さてさて、どうしたものか・・・。

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