選択

学校選び 選択の自律情報生態系のために

☆ある本の記述。

今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではなく、極端にいえば明日一日の生存さえも期しがたいのである。改めて戒告せられるまでもなく、われわれは二六時中死に脅かされつづけて居るのだからである。しかし、それではわれわれは果たして、この死の威嚇によって賢さを身につけ智慧の心を有するに至ったであろうか。否、今日の人間は死の戒告をすなおに受納れるどころではなく、反対にどうかしてこの戒告を忘れ威嚇を逃れようと狂奔する。戒告を神に祈るなどとは思いも寄らぬ、与えられる戒告威嚇の取消しを迫ってやまないのである。例えば毎日のラジオが、たあいない娯楽番組に爆笑を強い、芸術の名に値いせざる歌謡演劇に一時の慰楽を競うのは、ただ一刻でも死を忘れさせ生を楽しませようというためではないか。「死を忘れるな」の反対に、「死を忘れよ」が、現代人のモットーであるといわなければなるまい。

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