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<title>私立学校研究  (c) ホンマ ハヤト</title>
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<description>BM（BIG MAN）があらわれる場＝クオリティスクールを探します。</description>
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<title>一日一言　新渡戸稲造【014】</title>
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<description>一日一言　新渡戸稲造【013】のつづき。 ☆12月15日　人の心根 ・・・・・・...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/013-9145.html&quot;&gt;一日一言　新渡戸稲造【013】&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆12月15日　人の心根&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;・・・・・・人間も地位や財産、学の有無で自分を飾っていても、品格がともなわなければ、学問も地位もいやしいものになるだけで、その人の性格はどのようにかくそうとしてもどこかに表れるものである。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆日本の伝統的な発想のように思われるが、おそらく普遍的な生き様感だろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆コア・コンピテンス経営で有名なゲイリー・ハメルも、a“titled” leaderと a “natural” leaderとは違うと言っている。地位を与えられたからリーダーである人間とそんなものはなくてもその人の周りに人が集まり、人が動くというリーダーがいるという。後者の例にマザーテレサが入っているのもおもしろい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、今大事なことは、キャラとキャラクターを分けて、いつの間にか自分の本来のキャラクターを忘れ、キャラを本来のキャラクターと取り違えている場合が多いのではないか。自らキャラを付与し、そこにアイデンティティを見出す。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そのアイデンティティは、他者の目を気にしながら相対的に決まるし、相対的だから常に流動的だ。アイデンティティ自体が流動的なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆というのも本来とか本質とかそういう概念は大きな物語喪失とともに軽視されているのがポストモダンの特徴だからだ。つまり普遍的なものそれ自体不要であるという世の中・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆果たしてそれでよいのかどうか、新渡戸稲造は否と応えるのはこの一日一言を読んでいると明かである。つまりこれが≪私学の系譜≫としての立場。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、本来とか本質とか、教育理念とかについてどのように考えていくかについては、つまり時代の要請にどのように関係するのかについては、今のところ積極的な議論は浮上していない。あるかないかというより、あるとしたらどのように現代のシステムに影響するのかについて議論が広がらないと≪私学の系譜≫もたんに古い話で終わってしまう・・・。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>新渡戸稲造</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-15T08:06:57+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-c052.html">
<title>良い教育をすれば生徒は集まるか</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-c052.html</link>
<description>☆このところ私立学校の先生方と対話しながら、アハ体験したことがある。それは「良い...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;☆このところ私立学校の先生方と対話しながら、アハ体験したことがある。それは「良い教育をすれば生徒は集まるか」というテーマについて議論をしていたときだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆一般には、どんなに良い教育をしてもそれをきちんと発信しなければ生徒はなかなか集まらないと言われているし、私もそうだと久しく思ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そんなとき、「それだと本間さん、発信の仕方次第で悪い教育でも生徒は集まるということですか」と問われた。「まあ悪法も法ですからね」と。「そんなことないでしょう。本間さんって、そう言うけど自然法論者でしょう。まあ、Ｊ.デューイ的なヘーゲルなまりのプラグマティストって感じもするけれど、ものすごく古い時代に位置していますよね。現代思想のジャーゴン使うから、わけわかんないと言われるでしょけど。アリストテレスですよね」と。「いやそこまではわからないし、結局真剣にそこらへん著作を読んでいるわけではないから、自分でもわかりませんが。ただ、教育言説以外の言葉を使った方が何かが浮き出てくるかなと・・・。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「でも、ハーバーマスとかルーマンとか使いないがら、そうでないとアリストテレスまでいかなくても中世ぐらいまでは遡るでしょう」と、最近再び学問的な話題を仕掛けてくるけれど極めて実用的な広報の先生方と出会うようになった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆良い教育というのは、どうも学としての基盤がありながら、それを前面に出さない教育であるようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆良質だと業界で思われているパッケージプログラムをそのまま導入している場合、良い教育とは言わないようである。かりにそれを導入してもレディメイドにする創意工夫が教育の中にないと良い教育だとは思わないと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆やはりオリジナルがキーだと。ところが教育産業はそれでは儲からない。オーダーメイドだと手間暇かかる＝コストがかかり利益がでない。だからパッケージ化する。それをまともに導入する学校が良い教育をしているなどと学内の教師は思わない。そういう教師がいる学校は伸びる。伸びるというのは実績も出すから生徒も集まるという認識。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「だから良い教育しているのに生徒が集まらないというのは、本当に良い教育をしているのではないのだということでしょう。本当はそう言いたいんでしょう。言いたいこと思い切って言った方がよいよ」と問われる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「本物に触れさせたいといって、学的話を難しいからわかりませんなんて言うのは、ほんとうはおかしいでしょう」とはまた別の私立学校の先生。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆なるほどなと思いながら、お互いに「とはいえ、自分たちがもっと勉強しなくてはね」ということになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「本当に良い教育をしている先生がいる学校もあるけれど、それが学内で賛同者が広まらなかったり、それを学校一丸となってやろうという合意形成ができていなかったりする場合は生徒は集まらない。どんなに広報しようとしても、広報担当の教師が納得がいってない場合はなおさらですよ」とまた別の私立学校の先生。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「20%80%の理論もありますよね。20%の先生がよしやろうとなると、学内にあっという間に広まりますよ」という先生も。そして「そうすれば実はそれこそが広報になる。1人の人間の知り合いを5人か6人たどいってけば世界の人とつながるという心理学者がいますからね。学校全体で理解して取り組めばあっという間ですよ。」と若い先生。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆「私学市場と受験市場の違いがそこにはありますね」と話を向けてみると、「そういうことですな」とイノベーターの先生がぼそっと回答する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、恐ろしくなった。よくよくこの話を詰めていくと、学としての体系思考やそれ自体に対するクリティカルシンキングをしようとしない人材は良き教育の支援なんぞできませんよと先生方に私自身が言われていることになるからだ。精進あるのみだと今さらながら自戒。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆Ｋ中のＩ先生やＹ先生は、学的な背景のある教育の議論でめちゃくちゃ盛り上がり、現実を前にさっと実用的な手腕を発揮する。Ｎ中のＵ先生やＳ先生も目を輝かしてオリジナルに組かえる。Ｓ中のＳ先生は、自分流儀のメタファーに置き換えすぐに導入する。大事なのはトランスフォームの志向性。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆Ｏ学園のＹ先生自身、大学院で社会学を専攻してきたからこの手の話は大好きだ。Ｋ中のＷ先生もソクラテス的問答法で盛り上がる。Ａ中のＨ先生はご自身が読書会で生徒とその手の議論で盛り上がる。私学の系譜について情報交換もしてくださる。Ｓ学園のＭ先生も日々新たなりと探究の道を歩み続ける。Ｔ学院のＭ先生やＡ先生は実際にものすごく多い人数の大学の先生の話をダイレクトに生徒たちに結び付ける知的力量のある教師。Ｋ学園のＩ先生自身大学でも教べんをとっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆Ｍ中のＭ先生は孤軍奮闘、私学人としていばらの道を歩んでいる。学としての教育を、信念の教育をと。Ｈ学園のＫ先生もとにかく本物志向。Ｓ学院のＨ先生は、実務とアートの境地をいったりきたりしながら、私学の精神の守護神になっている。Ｙ学園のＫ先生、Ｙ先生、Ｓ先生の生き様、Ｔ学園のＳ先生の生き様も同じようにすさまじい。Ｏ学園のＳ先生は全国のクリスチャン学校を経巡りながら、私学の系譜を脱構築しようとしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆結局良い教育の原点は、私学人の生き様そのものにあるということだと改めて感じた2009年だった。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教育の挑戦</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T14:44:21+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-d332.html">
<title>伸びる学校・停滞する学校あるいは失速する学校</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-d332.html</link>
<description>☆98年・99年の私学危機のときに、そこから脱するために授業の質にこだわり同時に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;☆98年・99年の私学危機のときに、そこから脱するために授業の質にこだわり同時に広報する私立学校の広報担当の先生方が誕生した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆今から10年前は、経営陣をささえる事務局ではなく、先生方が前面に出て広報出動したところがいちはやく生徒獲得戦略において成功を収めた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、成功できなかったところもあった。事務局と教師の間で組織では常にある葛藤がおき、力で広報の先生方が抑圧された場合脱することができなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆また教師間でも葛藤があった。同僚が広報の先生方の応援をするどころか足を引っ張ったり、無視をしたり、中傷したり、考えられないようないじめも起きたが、そういう場合脱することはできなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆10年よりその前の経営陣や事務局が前面にでて、広報活動をしていた時代は、先生方は教育に専念していればよかった。それを幸せな教師時代だとみるか停滞していた時代だと見るかは人によって違う。今でもこの時代を憧憬している教員も多くいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ともあれ、停滞していると感じていた教師は、社会の動きや世界の動きと教育が敏感に連動する時代が、ベルリンの壁崩壊以降到来していることに気づいていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆世界は教育が非常に重要な問題になっていた。ベルリンの壁崩壊、冷戦終焉、金融市場という怪物の出現、国内の進路指導ではなく、世界の不透明かつ混迷の時代をサバイブする知が喫緊の課題であることを自覚していた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そういう教師は、学内の葛藤を覚悟し、学内改革を広報という基地から遂行した。経営陣や事務局は、どんなにがんばっても静的な学校組織の説明しかできない。ところがこういう豊かな見識をもちつつ生徒たちとの日々の対話を授業で実践している広報の教師は、授業そのものを表現した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そこには生徒たちの生き生きとした知的活動が映し出された。もちろん当時は学校だけではなく日本の組織は縦社会で高ストレス組織だったから、どんなにタフな教師も心は疲弊した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆それゆえ広報の先生方は一致団結してゆるやかな私立学校の連携チームをあちこちでつくっていった。それが今ではあふれるほどある学校連携説明会である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そして、これとて当然ながら葛藤を生む。今度は学校間で。そんな中で切磋琢磨して生徒獲得戦略を成功させている私立学校がでている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そしてこの過程で、アイデアから学内外交渉から、ＤＭ配布から説明会運営から何から何まで行っていた広報の先生方が、広報部の組織を形成しリーダーになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆この状況が10年後の今である。だから、10年前と今とでは広報の位置づけが全く違うのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆今日、広報部の組織化がなされていない私立学校は、伸びないし衰退していくだろう。なぜかというと、生徒獲得戦略は、学校組織戦略の一角であり全体なのだ。寺田寅彦ではないが、一杯のお湯を注いだ茶碗でおきている現象は、地球規模の自然現象のシステムの同心円状にあるからだ。広報組織、学校組織、そして授業システムなどなどは教育理念を中心に同心円状に広がっているはずだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆これができていないところは、授業もあまりうまくいっていない。大学進学実績をあげていればそれでよいとうそぶいているところは、もしかしたら私立学校としての教育理念ではなく、公立学校のシステムとシンクロしている可能性があるから、要注意だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆だから、逆に授業がうまくいっている、つまり知識、知恵、知性、創造性の統合ができているところは広報組織も、学校組織も教育理念を中心に同心円状になっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ただ、この同心円状は同調圧力も生むから、そこに自由闊達な議論ができる雰囲気が充満していなければならないという条件は重要だ。この条件がないと、その私立学校は停滞する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆さて、これから失速する危険性が私立学校の中ででてきた。10年前は、広報はまだ組織化されていなかったから、見識ある教師による広報＝授業内容の理解発信という動きができた。理解は相手の心を思いきり変えるものだ。偏差値にかかわりなくクオリティで学校選択をというのが広まった時期でもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、あれから10年たって広報の部署は組織化された。この組織化のあり方によっては、さらに飛躍する学校になるか、停滞する学校になるか、失速する学校になるかが決まるのだ。これが10年たって大きく変わった点だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆その10年前とは違い、事務局と教師の協力関係がとれる広報部組織が出来上がっているところがある。この組織は強い。なぜなら、事務局はもともと縁の下の力持ちだし、フォロワーシップで鍛えられている場合がある。授業もしながら広報活動する教師をリスペクトするのである。そして広報活動する教師の足を引っ張る教員に対し無言の圧力をかける。見識ある教師が広報活動をやっている場合、自分を支援してくれる事務局の舞台裏の細々とした時間のかかる仕事に感謝する。このリスペクトと感謝の信頼関係が広報部の組織のベースにある時、その学校は飛躍のエネルギーが蓄積される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆同じような組織が広報の教師だけで結成されるときがある。しかし、ここでは事務局と教師というスタンドポイントが違うメンバーが連携するのとは違い、同僚がゆえに、難しい面がある。見識や学習観という価値観の違いはときとして連携ではなく葛藤を生むからである。権威主義が組織を覆ったとき、その組織はブレーキをかけるお荷物になる。教師にとって知はときに権威になるのだ。そのリスクマネジメントができる広報のリーダーが必要だが、そのトレーニングはまだ組織的にはできていないのが日本の現状だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆すると自ずと役割分担になる。役割分担は表面的には公平なのだが、立場が同じ人間同士だと遠慮という不公平感が小さなストレスを溜めることになる。しかも同僚がゆえに甘えが生じ、同僚に対する配慮がなくなる。同僚同士の中に役割分担と称し、表舞台に前面に出る教師と裏舞台で人知れず交渉し、汗を流し、夜を徹して作業をする教師がでてくる。キリスト教的信念でもない限り、そのストレスは無くなることはない。たまる一方だ。リスペクトされなければ、やーめたということになりかねない。そのとき、その組織は壊滅する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆企業の場合だと、そこは上司と部下の関係とお金で評価ということになるからコントロールしようと思えばギリギリできる。もっともそれではうまくいかないことも今では当たり前になっているが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ところが学校の場合、その舞台裏で踏ん張っている教師を誰がリスペクトするのだろうか。リスペクトあるいは感謝。この信頼感のなくなった組織は、瓦解するのは火を見るよりも明らかだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかも広報部が組織化したがゆえに、そのダメージは直接学校組織や授業システムに影響する。10年前は広報の教師の疲弊は、その人材を除けばそれでよかった。学校組織は延命できる。しかし組織化された今日、組織の一部の瓦解は、組織全体に影響が及ぶのである。心臓とか脳とか膵臓とか、代替不可能な組織が崩壊した時、組織全体も死に至る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆開成や麻布、桜蔭、ＪＧのような学校は、特に広報組織はないではないかと言われるだろうが、このような学園は同心円なのではなく、一元論的図式である。授業も教育も広報も1つの組織ですべて行っているとイメージしてよいのではないか。きわめてシンプルなのである。授業は教育であり、教育は学校であり、学校は広報である。広報は信頼である・・・。すべては「一なるもの」である。持続可能性か死かそれしかない厳しいポジショニングにあるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教育の挑戦</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T12:07:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/013-9145.html">
<title>一日一言　新渡戸稲造【013】</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/013-9145.html</link>
<description>一日一言　新渡戸稲造【012】のつづき。 ☆12月14日　正義と法 元禄15年（...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/012-b6bb.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #330099;&quot;&gt;&lt;strong&gt;一日一言　新渡戸稲造【012】&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆12月14日　正義と法&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;元禄15年（1702年）の今日、赤穂浪士が亡き君主の仇をうった。忠義と法律はかならずしも合致せず、昔は法を破ってでも忠義を実行し、死をもって法のうめあわせをした義士もいたのだ。今は正しい道を曲げてでも法を優先させ、法律のかげでのうのうと生きているものが多いが、法は正しい道に従い、正義は法律を正すべきである。・・・・・・&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆悪法も法なのだ。悪法かどうかは、正義に照らし合わせてということか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆だがその正義の基準はどこにあるのか・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆哲学放棄、キリスト教への無関心。そんな世の中でクウェーカー派の新渡戸稲造の思想は有効なのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、そもそもなぜ哲学放棄や宗教への無関心があるのか。それは思考停止状態をつくる制度があるから・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆その制度を支えているのが法律。何という循環論法。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆クリティカルシンキングの本音は、この基準の精査にある。果たしてこの学びは日本において可能なのか・・・。やはり期待は私立学校ということなのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆それゆえ、新渡戸稲造は多くの私立学校設立に尽力したのか。かつて新渡戸稲造がかかわったそれぞれの私立学校は、そのことについてどう回答するのだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>新渡戸稲造</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T00:22:47+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/012-b6bb.html">
<title>一日一言　新渡戸稲造【012】</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/012-b6bb.html</link>
<description>一日一言　新渡戸稲造【011】のつづき。 ☆12月13日　好機はいつでも目の前に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/011-df89.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #330099;&quot;&gt;&lt;strong&gt;一日一言　新渡戸稲造【011】&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆12月13日　好機はいつでも目の前に&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;好機がくるのを黙って待っているのはむだなことだ。人を助けるとき、人のために良いことを行うとき、悪事をさけるとき、物事を始めるときなど、その好機はいつでも目の前にある。・・・・・・&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆結局すべての問題は自分の問題である。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆目の前に無限の質料が広がっている。そこをたどれば身近な出来事から遠くの出来事にまで到達できる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆目の前の質量をどこまで好機にするかどうかは自分次第である。ただし、これは自己責任という話とは違う。今日巷でいわれている自己責任とは、社会は責任を負わないという排除の理屈。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆目の前の質量を好機にするかどうかは、知恵と創造力と統合力の問題。この力を支えるのは、自分だけではなく社会からのフォロワーシップが必要なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆多くの人がチルチルミチルの幸せの青い鳥に気づく学力を身につけられる社会が大切。クエーカー派の新渡戸稲造は、それは大前提。そのうえでの話が今日の一言。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>新渡戸稲造</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T00:03:27+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-88a5.html">
<title>受験市場変容の中の中学受験市場の優位</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-88a5.html</link>
<description>☆長引く不況の影響で、受験市場全般が低迷するようにみえる。みえるというよりもその...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;☆長引く不況の影響で、受験市場全般が低迷するようにみえる。みえるというよりもその通りなのだが、実際には長引く不況というお金の影響というより、なぜ不況になったのかという社会構造の閉塞状況が根っこで影響していると読んだ方がよいかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆お金の問題は確かに重要である。しかし、不況になった原因は、哲学放棄の市場とその商品を支える哲学なしの技術開発の社会構造というか産業構造が立ち行かなくなったということが、受験市場の低迷を生んでいるのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆当たり前と言えば当たり前だが、金さえあればという考えが政府にも蔓延しているわけだから、どれだけこの構造転換をとらえているのかわからない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆今までは、クリエイティブな才能なるものは、大学で学ぶから、知識や基礎的な道筋を思考するという意味で論理的思考を中等教育でしっかりやって欲しいというのが一般的な志向性だった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆ところが哲学放棄が大学の研究を学としてではなく、思想なき技術開発という方向に走らせた。おのずと大学入試問題もスキル中心の問題になる。かりに論述の入試だとしても、そこで問われているのは思想ではない。技術の可能性とせいぜい法律による規制という意味での狭い倫理観が発想してあればよいものになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆だから大学の現代思想も、マニュアル化されパターン化された思想教科書になってしまっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆何を言いたいのか。この大学の学としてではない研究や企業研修のようなコミュニケーションデザイン能力の学科が増加しているが、このレベルの発想は、実は東京エリアの私立中高一貫校ならどこでも特別講義やプログラムでこの10年しっかり実践してきたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆私立学校の自由なカリキュラムの発想と生徒が何を知的刺激として学ぶかという聞く耳をもったコミュニケーションシステムが、中高のカリキュラムう先取りを超えて、大学の創造的研究の先取りまでしてしまったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆だから、開成でも本郷でも、潤沢な知識と論理思考を6年間で学び、東大に行こうというのは最優先課題とならなくなったのである。昨日の私学人の集いに開成と本郷の先生方も参加していて、いろいろ話を聞いたが、どうもそういうことらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆東大や早慶に進学をするのは、すでに両校のような私立学校ではマイケル・ポランニーの言う意味での「暗黙知」になっていて、つまり当たり前になっていて、もっと次のステージや幅広い知的刺激を求めるようになっているというのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆本郷の校長北原先生は、大学進学の成功はもちろんだが、それ以外のいろいろな領域で「格好いい」自分を実現するという方向が、今の本郷の雰囲気だと語られる。品格もあり自分の好きなことにまい進している姿は、他者から見てもたしかに憧れの存在だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆大学研究の低迷ということなのだろう。これは日本だけでのことでは実はない。フラット社会、知識基盤社会というのは、当たり前になったから、それほどマスコミは騒がないが、それは消えたのではなく、暗黙知化したのである。だから、中等教育と大学研究の差がだいぶ縮まったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆高大連携なんていっている間に、大学もたいへんなことになっているのだ。あのローティでさえ、中等教育では、知識と論理をしっかりやって創造的才能は大学からでよいと言っていた。しかし、社会の方は先に進んだのだ。もちろんこの変化を学として認識するにはさらに時間がかかるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆だいたい学は空が灰色になてからやっとミネルバのフクロウを出動させるから、時間のズレが生じる。しかし、社会はそんなのを待つことをしない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆さて、そういう中で、中学受験は麻布学園や開成学園、武蔵、桜蔭の入試問題を見えれば、論より証拠、創造的な才能をテストしてみたいという欲求がある。それに向かって中学受験は行われているから、無意識ではあるかもしれない、いや暗黙知化されているのだろうけれど、社会の変化を先取りしていたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆だから、学研のような教育産業が、経営状況の問題もあるのだろうが、中学受験に参入してきた。栄光グループのように中学受験市場から私学市場を見出そうというチャレンジが行われてきた。逆に中学受験以外のすべての受験市場や教育産業の覇者であるベネッセは、知識と論理をトレーニングする教材をがっちり持っているがゆえに、今さらパイの小さい創造的才能を養う中学受験には手を出さないのであろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆日能研は、本来創造的才能を養うベクトルに中学受験を向けていたが、一般的な受験市場に憧れをもったのか、どこかでブレがでてきたのだろう。麻布や開成を知識と能力のトレーニングだけで合格させようとどこかで方向転換したのだろうか。つまり、合理的経営ということだ。創造的才能は非合理的というより超合理的、つまりトランス合理性でトレーニングするしかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ＳＡＰＩＸは、そんなことを意識しているかどうかわからないが、もともと前身の塾時代から、燃え尽きない頭脳をがコンセプトだった。それが今も伝統として継承されているのだろう。日能研も、同じ意味で輝く目をもつ子どもを！と応援していた。しかし、もしかしたら子ども目線（ビゴツキーのいう意味での最近接領域、公文公のいうちょうどの学びという意味）という言葉が、顧客満足という限定的な意味で社内に浸透してしまったのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆受験市場の変質の中で、中学受験市場の優位性をどこの塾・予備校が脱構築するか。大変興味深い時代に突入している真っ最中なのではあるまいか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>受験市場</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-12T13:44:52+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/13-d4bc.html">
<title>私学市場の意義[13]</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/13-d4bc.html</link>
<description>私学市場の意義[12]のつづき。 ☆昨日（20091211）、中村学園で私学人の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/12-a6d5.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #330099;&quot;&gt;&lt;strong&gt;私学市場の意義[12]&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆昨日（20091211）、中村学園で私学人の集い「Ｔｈｅ授業リンク」の勉強会があった。この会の思いについては、メンバーであり&lt;a href=&quot;http://trinity-u.com/recommend/content/7.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #009933;&quot;&gt;&lt;strong&gt;私の敬愛する松田孝志先生&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;（明大付属明治中学校高等学校）がこう書いている。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;あえて、生意気にも僕が[The授業リンク]の高邁な特徴を3つ挙げるとするならば、次のことになる。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;Ｉ．私学には各校にスクール=アイデンティティ・文化がある。その具体化させたものの1つが授業そのもの、その授業の根底に流れる哲学、その違いを前提にしていること。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;II．経験の長短深浅はあるにしても｢単に教えてください｣ではなく、みな打席に立つバッターで、それぞれ手弁当（木戸銭、分かち合うものを持って）で参加していること。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;III．ワークショップであろうと、懇談という形態であろうと提供者（まな板の上の鯉ではなく鯛）になった人の実践からお土産として何かをつかもうとしていること。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　事業仕分けで、たとえ国家予算の15％であろうと国民の目の前にさらされ、議論されたことは良いことであると考える。しかしそこからが問題である。コストと投資、目先のことと後世に責任を負うヴィジョン、優先順位をどのようにしていくかである。生まれも育ちも能力も環境も状況も異なるものがちゃんと考え、議論する、そのことが大切だと思うのである。学校のことも、授業も生活指導も次元は違うが同様であると僕は考えている。理屈と実感、技から科学的スキル、躾けることと育てること。教員でなく教師として問われていることが目の前にある。弾き出されそうだとか、誹謗中傷に意気消沈気味だとか、無力感・焦燥感に打ちひしがれているなどということがあろうと、やはり自分は教師を選び続けてきた誇りを捨てまいと考えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;　　　　　　　　　　&lt;a href=&quot;http://eri.netty.ne.jp/jugyolink/hiroba/index.htm&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #336600;&quot;&gt;「僕にとっての[The授業リンク]　―Pay Forward―」　&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆たいへんオープンな勉強会で、公立私立問わず先生方が参加しているし、教師だけではなく、教育産業のスタッフや私のような好事家も参加できる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆Ｔｈｅ授業リンクとは、松田先生が語っているように、授業研究会ではなく、授業の根底に流れる哲学でつながっている。その哲学は各学校の場合教育理念や建学の精神につながるから、参加者の思想はかなり異なる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆その異なる思想どうしが議論できる場が、この会の興味深いところだ。しかもモノにこだわるのではなく、思想という関係関数にこだわるから、勉強会のテーマは、何も授業というモノだけではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆今回は、「新設校開校及びその運営について～白梅学園清修の場合」というテーマだった。かなり本音トークもあり、参加者は驚愕の連続であっただろうし、自分の学校での悩みを解決する（松田先生が語る）お土産を持ちかえることができたと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そして新設校開校のデザインは、結局は授業でどのように生徒と邂逅するかという哲学がにじみ出ていないとうまくいかないということが伝わったと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆なぜ授業なのか、それはなぜ学校なのかと同じ問いかけなのだ。だから授業と学校は関係がないという場合、そこには授業デザインの哲学も学校デザインの哲学もないということなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆哲学は基本的にはつながりを発見する見識である。関係がないという発言は哲学放棄である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆しかし、世の中は哲学放棄の時代がしばらく続いた。リーマンショック以降再び多少哲学の復権はあるかもしれないが、基本は哲学放棄。それがゆえに、松田先生ではないが、哲学のある教師（＝公立私立の教師であるかどうか問わず、また教師であるかどうかを問わず、そのような人材を私学人と私は呼んでいる）は皆「理屈と実感、技から科学的スキル、躾けることと育てること。教員でなく教師として問われていることが目の前にある。弾き出されそうだとか、誹謗中傷に意気消沈気味だとか、無力感・焦燥感に打ちひしがれているなどということがあろうと、やはり自分は教師を選び続けてきた誇りを捨てまいと考えている」という共体験をしているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/12/pc110730.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Pc110730&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Pc110730&quot; src=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/12/pc110730.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ☆哲学放棄の企業市場に対し、哲学基礎の私学市場はどのように挑むのか。その勉強会が昨日行われたのであった。昨日の仕掛け人は、中村学園の教頭梅沢先生（当日司会をされていた。最初の写真）。白梅学園清修の副校長柴田先生（2枚目の写真）を巻き込んだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆二人の共通点は、世界に通じるアスリートを輩出していることにある。バレーボールとラグビーという違いはあるが、世界に通じるリーダーシップ、世界に通じるコミュニケーション哲学を生徒と共に学んでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=800,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/12/pc110724.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Pc110724&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Pc110724&quot; src=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/12/pc110724.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ☆その根本的な考え方で学校を授業をデザインしてきた。柴田先生はノブレス・オブリージュというキーワードをいつも使うが、それは梅沢先生も同じ。私立学校がもともとイギリスのパブリックスクールやケンブリッジ大学、フランスの啓蒙思想にルーツがあるのがよくわかる重要なキーワードである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆柴田副校長はノブレス・オブリージュを3つの要素にわけて考えている。「克己心・用心深さ・フロンティア精神」がそれだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆白梅学園の建学の精神はヒューマニズム。イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス革命という啓蒙主義が原点である。克己心とフロンティア精神は、これをよく表している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ところで、用心深さというのは何だろう。教育理念にこのような言葉が入っている学校は他にあるだろうか。いや実は意外と多い。たとえば共立女子は「勤勉」「誠実」という言葉を使うが、これは慎重さが背景にあるから用心深さに通じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆大妻の「恥を知れ」もそうだ。かえつ有明の「怒るな働け」もそうである。武蔵の「自調自考」もそうである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆誤解も多いが、ルネサンスというプレ疾風怒濤の世界を生き抜いたマキャベリの思想やアダム・スミスやカントの思想にもそれがある。理性と狡知の葛藤を克己するには用心深さを必要とするし、開拓精神という大胆さも同時に必要。これはいつの世も同じである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教育イノベーション</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-12T10:55:12+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/011-df89.html">
<title>一日一言　新渡戸稲造【011】</title>
<link>http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/011-df89.html</link>
<description>一日一言　新渡戸稲造【010】のつづき。 ☆12月12日　知るのは行いのため 道...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/010-3da5.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #330099;&quot;&gt;&lt;strong&gt;一日一言　新渡戸稲造【010】&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆12月12日　知るのは行いのため&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;道徳を説く者はいるが、これを理解している者は少ない。人の道を知る者はあっても、これを実行する人はめずらしい。説教はできなくても、これを知ることは、説くことよりもまさっている。・・・・・・知って実行しないのは、知らないのと同じである。これは沢庵和尚に学んだことである。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆沢庵和尚という衣の内側には、水戸学があるということか。知行合一は、水戸学に流れ込んだ陽明学の基本思想だったような・・・。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆≪私学の系譜≫をたどると、水戸学とキリスト教の複合体が現れる可能性がある。この系譜を形成した1人が新渡戸稲造。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆その1人に内村鑑三もいるが、鑑三も2つのＪをうったえた。日本とイエズスキリストのことだが、この日本とは水戸学が背景にあるのかもしれぬ。これはあまりに憶測に過ぎないので、どなたか研究している方はいないだろうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>新渡戸稲造</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-12T09:04:56+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/12-a6d5.html">
<title>私学市場の意義[12]</title>
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<description>私学市場の意義[11]のつづき。 ☆東京私学教育研究所「所報74号」には、平田オ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/11-cf51.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #330099;&quot;&gt;&lt;strong&gt;私学市場の意義[11]&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;のつづき。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆東京私学教育研究所「所報74号」には、平田オリザさんの講演録が収録されている。演題は「国語科解体」。なんて刺激的な主題なのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆とはいえ、現状の国語科の学習指導要領や授業を直接批判的に検討しているわけではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆平田さんは、劇作家で演出家、そして大阪大学のコミュニケーションデザイン・センター教授。その立場から、ことばの府である国語科を代表して、日本の教育全体がことばを学ぶ新しい方法があるよと提案しているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆この視点は、実のところ東京私学教育研究所自身が久しい間、基礎学力研究をし続けてきていて「ことば力」の新たな展開を提案し続けていることとシンクロしている。それゆえ、本研究所の主催する「文系教科研究会」に招かれたのだろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;☆平田さんが考えるコミュニケーションとはどういうものだろう。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;いいコミュニケーションというのは、基本的に、・・・子どものコンテクストで発せられるシグナルを受けとめて、さらに、“受けとめているよ”ということをきちんと形として返してあげるのがいいコミュニケーションだと一般的にいわれています。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆一般化はできないけれど、コンテクストを読む、シグナルを感じる、受けとめているよというシグナルを表すのがよいコミュニケーションだと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆そしてコミュニケーションデザインですから、そういうコミュニケーションがとりやすい人間関係をデザインする、空間をデザインする、交通をデザインする、都市をデザインする・・・という複雑系をデザインするようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆つまり最後は社会という組織をデザインする。学校も組織である。組織はつまるところコミュニケーション・システム。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆ということは受験市場には受験市場のコミュニケーション・システムがあり、教育産業には教育産業のコミュニケーション・システムがあり、企業には企業のコミュニケーション・システムがあり、私学市場には私学市場のコミュニケーション・システムがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆さてどのシステムが子どもたちにとって幸せなシステムなのだろう。それは言うまでもないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆それで、幸せなシステムではないコミュニケーションはどうすればよいか。ここで平田教授の出番である。デザインとはDE-SIGNである。記号（SIGN)を解体する(DE)のである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆というわけで、「国語科解体」なのである。教育の記号を脱構築するのは、平田教授ばかりではなく、私立学校もそうだ。なぜなら完璧なシステムなど存在しない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆常に脱構築の探究と冒険に出でよ。それが私学市場なのだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教育イノベーション</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-11T16:00:17+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-41ce.html">
<title>立教女学院からの贈り物　世界の子どもたちに</title>
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<description>☆クリスマス季節が訪れているが、立教女学院のキャンパスは、主と共に平和の実りを祈...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=768,height=1024,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/11/pc110699.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Pc110699&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Pc110699&quot; src=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/11/pc110699.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;133&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ☆クリスマス季節が訪れているが、立教女学院のキャンパスは、主と共に平和の実りを祈るシンボライズで満ちている。11月の終わりくらいからうっすらと霜が一面降りているのだろうか。ともあれ、中庭のモミの木に光が灯され、立教女学院の精神が色鮮やかに輝くアドヴェント（降臨節）の季節が到来している時だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆学院中で、イエス・キリストの誕生を待ち望み、クリスマスの歌の練習の響きがキャンパスに広がってもいるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆立教女学院は米国聖公会の流れをくむプロテスタントの精神に基づいて教育を行っている。ちょうどオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞している時でもある。イエス・キリストの誕生を待ち望むことは、世界の子どもたちに平和が訪れれように祈ることでもある。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;a onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=1024,height=768,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot; href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/12/11/pc110700.jpg&quot;&gt;&lt;img title=&quot;Pc110700&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Pc110700&quot; src=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/images/2009/12/11/pc110700.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;75&quot; style=&quot;MARGIN: 0px 5px 5px 0px; FLOAT: left&quot; /&gt;&lt;/a&gt; ☆だから、アドヴェントからクリスマスまで、学院のオルガンの響きに合わせて生徒たちが歌う聖歌は、今もこうしている間に飢餓と死に直面しているかの地の子どもたちの平安を主に祈る響きでいっぱいになっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆その響きは、ＣＤでもまとめられている。聖マーガレット礼拝堂のパイプオルガンのやわらかい響きに合わせて立教女学院高等学校の聖歌隊が歌っているものを収録している。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;へいわのはなさく　くにをたてたまえ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;主よ　主よ　みたみを　すくわせたまえや&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;☆この聖歌第6番の響きが、世界の子どもたちに届くためにはどうしたらよいのだろうか。立教女学院の生徒たちは、歌い祈り、そして平和のための学びを追究している。オバマ大統領は平和のために戦争をするというが、そうではない平和構築を立教女学院は模索している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;☆中学受験も近いが、その道のりが、立教女学院の精神を実現する生き方を身につけるためのものにつながることを心から祈っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【関連記事】&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/0531-3865.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;&quot;&gt;&lt;strong&gt;伸びる学校[053]　立教女学院の魅力[&lt;span style=&quot;color: #ff3399;&quot;&gt;1&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;&quot;&gt;&lt;strong&gt;]&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/0542-c27d.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;&quot;&gt;&lt;strong&gt;伸びる学校[054]　立教女学院の魅力[2]&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://pschool.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/055-a366.html&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;&quot;&gt;&lt;strong&gt;伸びる学校[055]　立教女学院の魅力[了]　独り言&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>クオリティスクール</dc:subject>

<dc:creator>ホンマノオト</dc:creator>
<dc:date>2009-12-11T13:05:52+09:00</dc:date>
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